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全泰壱氏の母、李小仙さんの逝去を悼む

s20110906a-1.jpg 韓国の民衆から「労働者の母」と呼ばれ慕われてきた李小仙(イ・ソソン)さんが、9月3日午前11時45分頃亡くなられた。今夏の猛暑にもかかわらずあちこちと労働者の闘いの場に駆けつけていた李小仙さんは、7月18日、突然心臓疾患で倒れ、入院していた。享年81歳だった。
 今年7月の緊急入院後、いったん持ち直した李小仙さんは、病床の中から「やあ、半年以上もキムジンスクが高いところで頑張ってるのに、私が行かないでどこが労働者の母だ」と、韓進重工業の整理解雇撤回を要求して造船クレーンの上でろう城しているキムジンスク民主労総釜山本部指導委員のもとに駆けつけることを切望していたという。 

s20110906a-2.jpg 李小仙さんは、「勤労基準法を守れ!」「労働者は機械じゃない」と叫んで1970年11月13日に焼身決起した全泰壱(チョンテイル)氏の母親だ。
 「まっ暗な闇の中でか弱いシタ(見習い)たちがおなかをすかせているのに、この闇の中で仕事をさせられているのに、この人たちはもう少ししたらみんな結核患者になり、目もかすみ、身体もぼろぼろになります。私はこれを見てがまんがならず、何とかしようと思ってもできず死ぬんです。私が死ねばアワほどの穴でもあけられれば、それを見て学生や労働者が一緒に最後まで闘って穴を少しずつ広げ、か弱い労働者たちが、自分がなすべきことを、自分の権利を追い求められるようにする道をお母さんが作らなければなりません」
 息子・チョンテイル氏のこの遺言を胸に、李小仙さんは以後、常に労働者のそばにあり、闘いの先頭に立ち続けた。清渓被服労組やトンイル紡織闘争、九老同盟ストなど労働者闘争との連帯、朴正煕軍事独裁政権下での政治犯救援活動、疑問死究明運動、学生の闘いへの支援、二度にわたる投獄……。その時々の韓国民衆の闘いの場に常に李小仙さんの姿はあった。
 李小仙さんは特に、労働者が自らの命を犠牲にして闘う韓国労働運動のきびしい現実に対し、行く先々で、「生きて動く労働者のみなさん」と呼びかけ、「両の目を見開き、両の手をぎゅっと握って一つになれば必ず勝てる」「生きて闘おう」と声を涸らして訴え続けてきた。
 李小仙さんの遺志を受け継ぎ、この11月、日韓労働者の共同闘争で非正規職撤廃、新自由主義攻撃粉砕へ闘おう!(H)
 写真上は2010年の11・7全国労働者大会で参加者を激励する李小仙さん。写真下は1970年11月、全泰壱氏の葬儀で息子の遺影を抱きしめ慟哭する李小仙さん。
 

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