三里塚やぐら裁判で不当な「却下」判決
3月24日、千葉地裁民事第3部(廣谷章雄裁判長)で二つの三里塚裁判――①団結街道裁判、②天神峰やぐら裁判が連続して開かれた。
三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団、支援の労働者・学生は、「農地死守」の気概に燃えて臨み、この日やぐら裁判で出された不当な「却下」判決を激しい怒りで迎え撃った。
午前10時30分、団結街道裁判が開廷。成田市は2010年6月、天神峰の市東孝雄さんが日常的に営農で使っていた団結街道を、夜陰に乗じて暴力的に封鎖・廃止し、その土地を成田空港会社(NAA)に格安で売り飛ばすという暴挙に及んだ。代替道路をつくったから「道路法の廃道要件を満たした」などと市は主張する。
「空港建設の過程で市道を廃止にした例に関する文書一切を明らかにせよ」という原告・市東さん側の追及に対し、今回被告・成田市は、空港用地内の27路線廃止に関する告示書、土地調書、位置図などを提出した。だがこれらはあちこちで欠落部分が多く、「農作業で現に使用している道を廃止した前例があるのか」という問いへの回答には程遠いものだ。
さらに市が前回、「廃道要件を満たしたのは、2010年3月19日」と特定したことについて、弁護団が容赦なく追及した。「廃道の件が市議会にかけられたのが、2月19日、可決されたのが3月16日。つまり、その時点で廃道要件は整ってない。これは道路法違反であり無効だ。この日付は市の以前の準備書面に明記されている」
市の代理人はうろたえながら、「今日は書面を持ってきてないので確認できない」と居直った。「ふざけるな!」「何をしにきてるんだ」と傍聴席から一斉に怒りの声が飛んだ。
裁判長は市をかばいだてして、「今回はこれくらいで。あらためて求釈明を出して」などと述べた。冗談じゃない。市東さんは団結街道を破壊されたあの日以来、3倍もの道のりを往復して毎日畑に通っているのだ。この怒りを必ず思い知らせてやる。
次回期日を6月26日として閉廷した。
続いて同じ法廷で、やぐら裁判の判決言い渡しを迎えた。午前11時、同じ廣谷裁判長ら3人が入ってきた。「主文。本件訴訟を却下する」。とたんに法廷は怒号に満たされた。「なんだと!」「裁判所はNAAの手先か!」。裁判官らはただちにその場から逃亡した。
近くの会場で、伊藤信晴さんの司会で裁判報告会が開かれた。弁護団は判決文を受け取って、少し遅れて到着。
葉山岳夫弁護士は、「従来NAAはやぐら・看板の所有は市東さんだとしていたのに、一転して反対同盟所有を認め、反対同盟に明け渡し訴訟を起こすにいたった。こちらは反対同盟所有であることの確認判決を求めていたが、今回の判決は“確認の利益がない”と却下してきた。今東京高裁で闘われている農地裁判への影響ということでは、“所有権を争っているわけではないから大した影響はない”と言っているが、不当極まりない。この闘いは新やぐら裁判に引き継がれる。ここで徹底的に闘う」と明らかにした。
さらに弁護団一人ひとりがそれぞれ、二つの裁判での応酬を振り返り、農地裁判とあわせて必ず勝利をかちとる決意を明らかにした。
さらに記者からの質問に答えて葉山弁護士は、「農地裁判では、やぐらは市東さん所有になったまま。これは大きな矛盾をかかえた結審ということだ。また今日の判決は、“やぐらは反対同盟の所有”というこちらの主張を認めさせたという意味では、実質上の勝訴ともいえる」と述べた。
動労千葉と「市東さんの農地取り上げに反対する会」が連帯発言を行った。動労千葉の滝口誠さんは、「47年前に私は青年部長で、成田市営グラウンドで機動隊に殴られながら闘ったことを思い出す。だが市東さんも言ってるように単に思い出だけじゃなく、3・29全国集会を新たな三里塚闘争の出発点として、動労千葉も一人でも多くの結集をかちとるために奮闘する」と決意を表した。
最後に伊藤さんが再度3・29大結集への奮起を促し、締めくくった。(TN)
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