韓国・鉄道労組 〝これからが始まりだ〟 無期限ストが1カ月 パク政権倒す11月総決起へ
韓国では、全国鉄道労組の無期限ストが1カ月を迎え、2013年末の23日間の大ストライキをも上回る歴史的闘いとなった。貨物連帯のストは10日間で終結したが、今度は釜山地下鉄労組が一時中断していたストを21日から再開した。民主労総は、鉄道を軸にゼネスト闘争を継続しながら、パククネ政権打倒の11・12民衆総決起闘争へと全力で攻め上っている。
無期限ストに悲鳴を上げる鉄道公社は、組合員の家族をも脅迫し、〝10月20日深夜までに業務に復帰しない者は厳重処分にする〟と最後通告を行った。だがこれに応じて復帰したのはわずか31人。21日朝も7330人がストに立った。この不抜の団結と決意を示すのが、19日の鉄道労組の決起大会でキムヨンフン委員長が読み上げた、鉄道労組中央争議対策委員会による「鉄路の軌跡」と題する闘争宣言だ。以下、その全文を紹介する。
鉄路の軌跡
われわれは知っていた。2013年冬、12月22日、われわれの指導部を検挙するだろうと。労働者の心臓・民主労総を侵奪した時からわれわれは知っていた。KTX民営化阻止闘争を終えて現場へ復帰したその年の最終日。怒りを抑えられなかったパククネ政権が必ずわれわれを再び挑発するだろうと、われわれはすでに知っていた。
その時われわれは言った。今後4年をどのように送るべきかと心配する市民に、パククネ政権があと4年ではなくて、イミョンバク・パククネ政権6年が過ぎていると、われわれは笑いながらあいさつした。
全経連の請負立法、容易な解雇・一生非正規職を労働改革だとあざむく時、労働者は保護を受けるべき市民ではなく、除去されなければならない内部の敵として見られていることをわれわれは確認した。
善良な農民ペクナムギ老人を放水銃で直射した時、ともに生きようと叫んだ解雇労働者のハンサンギュン委員長を暴徒と決めつけた時、われわれは決心した。総選挙以後、改悪が不可能になった労働法を、あいつらはためらうことなく無視するだろうとわれわれは直感した。一生、謝罪することを知らない大統領が廃棄処分された労働改悪法を棺桶(かんおけ)から引き出す時、われわれはすべての準備を完了した。
5月30日、交渉途中で理事会を強行した時、組合員たちは本能のようにストライキのザックを準備した。冬服も用意した。妻に夫に子どもにむかって、家族と職場を守るためにしばらく出かけてくるからと約束した。
おまえたちだけが知らない。
不法と罵倒して脅迫し懐柔すれば終わると錯覚するな。無労働・無賃金、金でなら何でもできると勘違いするな。不正義の権力と金に屈服するわれわれだったなら、ストライキを始めることもなかった。
ストライキに参加した新規組合員を見下すな。おまえたちの目にはいまだに言われたままに何でもするインターンとして見えるかもしれないが、彼らはわれわれより先に成果退出制を経験した先輩だ。一生インターンとして生きることはできなかったという青年労働者の叫びを、おまえたちだけが知らない。
高慢ちきにも(家族の)心配に便乗して鉄道家族を苦しめるな。愛する家族と、配慮しなければならない隣人がいないなら、われわれはこの場にいる理由がない。
すべてのものを自分を基準にして判断するな。われわれには、金と権力でも得ることができない尊い価値があるということを、おまえたちだけが知らない。
もうこれ以上許せない。
労働3権を踏みにじり、労働基準法と労働組合法を法としても考えない憲法否定勢力は、民主共和国の構成員となることができない。おまえたちこそが大韓民国を否定する勢力だ。
ストライキ労働者の自由を日帝軍国主義の残滓(ざんし)である業務妨害罪で閉じ込めようとするな。われわれは、罪のない労働者が犯罪者として取り扱われない新しい大韓民国のために闘う。われわれが民主主義と政治、憲法の守護者だ。
われわれは米軍政の暴圧統治を収束させ、働くすべての人が主人となる民主共和国樹立を熱望した、1946年9月鉄道ゼネストの後裔(こうえい)である。鉄道労働者の胸には先輩たちの熱い血が流れ、チョンテイル烈士の遺言はわれわれ労働組合の最大綱領だ。
20日までに復帰せよ、これが最後通告だと言った。最後だという言葉をむやみに口にするな。われわれはこれからが始まりなのだ。
今日のわれわれの闘いは鉄道労働者が歩んできた道、歩んでいく道、われわれすべてが運命のようにともにつくってきた道、鉄路の軌跡である。
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