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三里塚反対同盟事務局長・北原鉱治さん葬儀

 20170821a.jpg8月9日に亡くなった三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長・北原鉱治さんの葬儀・告別式が、8月19日に成田市寺台の式場で行われた。前日の通夜に続き、家族に加え全国から300人に及ぶ人びとが参列し故人を偲んだ。ロビーの一角には、写真とビデオのコーナーが設けられ、反対同盟の結成時から一昨年までの闘いの現場での姿、家族との団らんの様子、映画「襤褸(らんる)の旗」(1974年)出演シーンなどに多くの人が見入った。
 祭壇の遺影は、ヘルメットをかぶりマイクを握る往年の北原さんの勇姿だ。

 葬儀式では群馬県の天台宗・青柳晃敬和尚が読経し、事務局長として空港反対運動を率いた北原さんの業績・人柄を称えた。
 北原さんは還暦を迎えた1982年、晃敬さんの父である青柳晃玄さんから生前戒名を与えられている。「悠里院悟道柱鉱居士」。遥かなる広い里に道を悟り柱となるとの意である。
 告別式に移り、青柳晃玄さん、動労千葉の田中康宏委員長、反対同盟顧問弁護団事務局長の葉山岳夫弁護士の弔電が読み上げられた。
20170821b.jpg 続いてこの日韓国から駆けつけ参列した、民主労総ソウル本部指導委員・イジェヨンさんの弔辞が代読された。毎年秋のソウル本部訪日団と反対同盟との交流を振り返り、「ともに歩んだ国際連帯の心は永遠であり、北原鉱治事務局長同志の念願を引き継ぎ、空港建設反対闘争は平和がよみがえる時まで続く」と尽きぬ思いを表した。
 天神峰の市東孝雄さんが弔辞を読み上げた。
 95年の生涯、51年の闘争史、市東さんが天神峰で農業を継いでからの18年の歳月を振り返り、重責を担い常に先頭に立った北原さんに尊敬と感謝の言葉を捧げた。そして、農地死守・第3滑走路阻止の決意を述べ、「若者の未来のために戦争を繰り返させないとの北原さんの思いを私たちが引き継ぐ」と誓った。
 長男の北原健一さんが喪主としてあいさつに立ち、涙に声を詰まらせながら参列者にお礼を述べ、自分も反対同盟の一員としてともに進む気持ちを語った。
 最後のお別れをし、出棺の車を見送る一人ひとりの胸に、北原さんが残した信念を曲げずに生きかつ闘う姿勢、多くの人を励まし勇気づけた言葉があらためてよみがえり刻まれた。(TN)

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