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星野国賠訴訟が結審 5年の闘い、虐殺の真相暴く

「星野国賠勝利!大坂控訴審勝利!」を訴える東京地裁・高裁包囲デモが闘われた(1月23日 東京都千代田区)

星野国賠訴訟第23回口頭弁論が1月23日、東京地裁民事第14部(村主隆行裁判長)で開かれ、結審となった。判決は3月24日。
この日の法廷では、原告の星野暁子さんが意見陳述を行い(要旨別掲)、弁護団が星野文昭同志を殺した国家犯罪を徹底的に弾劾した。裁判を前に70人の支援者が法務省弾劾デモと裁判所前街宣を闘い、終了後の報告会に参加した。
救命の意思はなし
原告弁護団は、昨年末に最終準備書面を提出した。20年2月21日に国家賠償請求訴訟を申し立ててから5年、23回の口頭弁論を重ねて、星野同志がなぜ殺されたのかを明確にし、この日の意見陳述でその核心を明らかにした。
最終準備書面は、徳島刑務所と東日本成人矯正医療センターの姿勢を追及している。法務省、徳島刑務所、医療センターには、星野同志を救命しようという意思がまったくなく、「死んでも構わない。むしろ死んだ方が良い」と考えていたのだ。
それを象徴的に示すのが、土田元哉弁護士が追及した術後出血への対応だ。19年5月28日、手術終了から約2時間の午後6時50分、それまで120台だった血圧が64/43に急降下し尿も出なくなった。この時、再開腹止血術を行えば救命は可能であった。法廷で肝臓外科専門医は、術後出血の危険が高いのは手術当日であると証言した。ところが、外部から呼ばれた執刀医は手術終了直後に帰ってしまい、緊急時に呼び戻すオンコール体制もなかった。助手を務めた外科医も8時過ぎには帰ってしまい、医療センターに残ったのは当直の麻酔科医1人だった。
深夜の1時から5時までは看護師の見守りもなく、カルテは空白になっている。手術後入れられたのは事前に説明があったICU(集中治療室)ではなく、ただの「回復室」で、専属で見守る看護師も医師もいなかった。
必要な医療を放棄
岩井信弁護士は、徳島刑務所を徹底弾劾した。
19年3月1日、星野同志の病状が日々悪くなっていくのに放置していた徳島刑務所は、ようやく腹部エコー検査を行い、巨大な腫瘤(しゅりゅう)を発見した。カルテに「CT必須」と記入した。しかし、その事実を、星野同志にも家族にも弁護団にも伝えなかった。「CT検査」もしなかった。
同月6日に「刑務官会議(幹部会議)」で、所長は「背景が複雑な人だから慎重に対応するように」と指示した。これは「何もするな」と言ったに等しく、当時進められていた仮釈放審理を不許可にするためだった。
徳島刑務所は、必要な医療を意図的に放棄し、星野同志の命を奪ったのだ。絶対に許せない。
国家権力への怒りを燃え上がらせ、大坂正明同志の控訴審闘争と一体で、裁判所を包囲しよう。この闘いは、中国侵略戦争阻止闘争そのものだ。3月24日、判決公判に大結集しよう。
◇    ◇
判決裁判 3月24日(月)午後3時 東京地裁第708号法廷。終了後報告会

星野暁子さんの最終意見陳述
文昭の死の責任取らせる

星野文昭が亡くなってから6年目。35年、人生を共にしたかけがえのない伴侶だった。手術が成功し、共に歩むことができていれば、再審を継続しこの手に取り戻す闘いを成功させることができたはず。未来と現在そのすべてを奪った東日本成人矯正医療センターと徳島刑務所の人権侵害甚だしい文昭と家族に対する対応は、とうてい許せない。
被告・国の準備書面は、術後出血、ショック状態を否定するばかりで、なぜ文昭が死亡したのか、語られていない。
2019年5月30日午後9時44分、文昭は死亡した。私はすぐに駆けつけたが、文昭に面会できたのは午前0時過ぎ。2時間以上待たされた。検死の作業や出血をふき取る作業を、家族との面会を後回しにして優先させた。許しがたい。出てきた文昭は、既に棺おけに入れられ、死に装束を着せられていた。それも心ないやり方だ。
そして、「翌朝10時までに遺体を引き取るように。できなければ、こちらで処理する」と言われた。このこともひどい扱いだった。
解剖を行うよう求めたが、「うちでは解剖はやっていない」の一言。手術が成功したとの説明からわずか2日、なぜ死に至ったのかを知るには、解剖が必要だった。それを隠すように一言で片づけられた。文昭に対する冒涜(ぼうとく)だ。
国の準備書面は、文昭の死に向き合い、責任をはっきりさせる内容になっていない。
特に、怒りを感じたのは、被告・国が被収容者の法的権利利益の保護を否定していること。無期懲役囚である文昭の仮釈放審議を地方更生保護委員会が行っている以上、徳島刑務所所長が、文昭の心身の状況の変化について四国更生保護委員会に正確な情報を報告するのは当然のことだ。
文昭の二人の兄弟が、私とともに原告になってくれた。家族として、原告の一員として、文昭の獄死をともに追及している。亡き文昭の国に対する損害賠償請求権を相続して持つ私たちが、原告として訴える権利を持つことは当然だ。
この国賠訴訟で、文昭の死の責任を医療センターと徳島刑務所に取らせ、星野文昭の名誉回復を実現しなければならない。そして、獄中医療の非人間的なあり方、被収容者の生命をないがしろにするあり方を、この裁判を通じて変えていきたい。

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