特集
大坂正明同志は無実
「供述の信用性」をめぐり攻防激化/大坂裁判第19・20回公判
1971年11・14沖縄返還協定批准阻止・渋谷暴動闘争を先頭で闘い、星野文昭同志、奥深山幸男同志と共に「殺人罪」をでっち上げられた大坂正明同志の裁判の第19、20回公判が3月16日と23日、東京地裁刑事第4部(高橋康明裁判長)で行われた。大坂同志は46年間もの指名手配攻撃と闘い、今6年に及ぶ長期勾留と不屈に闘いぬいている。
両日とも、公判はデモ参加学生ARとAOの、星野同志らの裁判で証言した公判調書の取調(調書朗読)であった。ARは星野同志らの一審公判においても、「大坂が中村巡査を殴打していた」とウソの証言を行った。渋谷闘争当時に群馬高専2年(16歳)だったARは1972年3月に事後逮捕された。後の星野控訴審で、ARの黙秘を解かせるため、中津川彰検事が父親と母親を取調室に入れ、父親がARの顔面を殴ったことが明らかになっている。大坂裁判で出廷した際も、そのショックで「供述」を始めたと証言している。ARは警察・検察の誘導と強制に従って、大坂同志、星野同志、奥深山同志をでっち上げる「供述」を行い、大坂同志について今日に至るもでっち上げを維持している。
だが昨年11月、第5、6回の裁判で証言したARは51年も前のでっち上げ内容について、「大坂と工学院大学で会った」「神山交番前で大坂が先頭で飛び出し機動隊を殴った」「(死亡した)中村巡査を殴打していた」と証言するものの、それらの経緯や根拠などが二転三転していることが暴かれた。でっち上げ証言であることは歴然だ。検察官はそれを取り戻すために、星野同志らの裁判のAR証人尋問調書を証拠申請し、裁判所はそれを証拠として採用した。「大坂さんとは初対面だ」「供述調書はでたらめだ」と勇気を持って証言したAOについても、検察官は過去の公判調書を証拠申請し、採用された。
●裁判傍聴闘争に総決起しよう
裁判攻防は「供述の信用性」をめぐり新たなステージに入った。ARの供述調書も公判証言も一切信用できない。勇気をもって証言したAOの大坂裁判での証言こそが真実だ。先入観に満ちた裁判官の対応を許さず、闘おう。労働者民衆の怒りを、圧倒的な傍聴闘争で裁判所にぶつけよう。
大坂同志は「(年初に罹患した顔面神経麻痺の治療で服用していたステロイド薬をとめたら)ぜんそくのせきも鼻ポリープも以前より悪化してしまいました。法廷でもせきがなかなか止まらず困りました」と訴えている。長期勾留と接見禁止が原因であることは明白だ。だが裁判官らは法廷で苦しそうにせきをする大坂同志の様子を気にも留めない。それどころか3月7日期限であった大坂同志の接見禁止を4月24日まで再々度延長した。大坂同志の命も健康も人権も顧みない国家暴力であり、戦時下の獄中弾圧だ。絶対に許さない。
大坂同志は無実だ。不屈に闘う大坂同志と団結し、接見禁止解除、大坂同志解放を求めて闘おう。4月18日、大坂同志の接見禁止解除を求め、救援会を先頭に再度東京地裁に申し入れ行動を闘う。中国侵略戦争情勢下、革命家抹殺攻撃を打ち破ろう。