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大坂正明同志は無実

沖縄・平良証人が権力を圧倒 大坂裁判第24、25回公判

渋谷闘争への共感語る
1971年11月14日、沖縄返還協定批准阻止闘争(渋谷暴動闘争)を闘い「殺人罪」をでっち上げられた大坂正明同志の第24回、25回公判が5月23日と25日、東京地裁刑事第4部(高橋康明裁判長)で開かれた。検察官は警察官殴打について大坂同志の行為・役割を何一つ明らかにできないまま立証が終了し、この日から裁判は弁護側立証に移った。
24回公判は故・星野文昭同志の裁判での証言が読み上げられた。11・14闘争をリーダーとして闘いぬいた星野同志自身の言葉で闘いの正義と全体像が語られた。沖縄民衆の血叫びに応え、渾身(こんしん)の闘いを組織した星野同志に思いをいたし、大坂同志奪還を厳粛に誓う法廷となった。

25回公判は、沖縄県祖国復帰協議会の上京団の一員として1971年11月に東京で返還協定批准阻止を闘った平良長政(たいら・ちょうせい)氏が証言台に立ち、大坂同志への限りないエールを送った。
1943年生まれの平良証人は、沖縄戦で姉を亡くした。那覇空襲で家を焼かれ、大宜味村に避難し、米軍上陸後は山奥で避難生活を送った。日本軍による集団自決強要や住民虐殺の実態を暴露し、怒りを抑えた静かな語り口で「軍隊は民衆を守らない」「戦争絶対反対」と、沖縄民衆の思いを述べた。
本土の捨て石とされた沖縄戦への怒り、天皇メッセージにより戦後アメリカに売り渡されたことへの怒り、過酷な米軍支配に対する怒り、戦争への怒り。沖縄民衆はこの現実を根底から打ち破るべく本土復帰を希求し、米軍基地全面撤去へ「島ぐるみ闘争」が爆発したことなど、71年の闘いに向かう民衆の歴史が法廷で語られた。そして平良証人は「即時無条件全面返還」という沖縄民衆の願いを踏みにじる返還協定を阻止すべく、沖縄では2度のゼネストが爆発したこと、11・14渋谷暴動闘争は沖縄民衆の平和への血叫びに応えるものであり、沖縄県民として心強いものだったと、きっぱりと証言した。

検察官は「証人は機動隊を攻撃すると表明したことはあるか」などと問題の矮小(わいしょう)化を試みたが、平良証人は「沖縄でも火炎瓶闘争など当たり前だった」「沖縄を無視する政府の姿勢こそ卑劣。歴史的に必要な闘いであった」と言い切った。中国侵略戦争のためのミサイル配備など、戦時下そのものの沖縄の現実と民衆の闘いを訴え、検事を黙らせた。
平良証人は、当時のことを全く知らない裁判官や検事に終始穏やかに語りかけるように証言したが、沖縄の怒りをにじませた証言は重厚で、権力を圧倒した。渋谷暴動闘争について「沖縄を孤立させず、ともに闘ってくれた若い人たちに、本当にありがたいと思っている」と語り、法廷で大坂同志と熱く結合した。現在の戦争情勢と対決して共に闘おうとの呼びかけに、大坂同志も静かにうなずき、傍聴闘争に詰めかけた仲間とともに勝利を誓った。
いよいよ弁護側立証が始まった。大坂同志奪還へ、さらに闘いを進めよう。