「イミョンバク政権打倒!」6・10闘争に10万人結集
6月10日夜、ソウル広場に10万人(主催者推計)が集まった。1987年のこの日、全斗煥(チョンドゥファン)軍事独裁政権のもと、民主化を渇望する労働者民衆が韓国全土一斉に立ち上がった。のちに言われる「6月民衆抗争」の起点となったこの日から22年。イミョンバク政権の圧政に怒る労働者階級民衆が、「民主化の時計を逆戻りさせるな」と立ち上がった。
野党4党と市民・労働団体などが主催する「6・10抗争精神継承・民主回復汎国民大会」に対し、警察は当初、ソウル市庁前ソウル広場の使用を許可しなかった。しかし人民の激しい怒りの前に戦闘警察を一旦撤収させざるをえなかった。集会は、第1部のイベントに続いて、 第2部のノムヒョン大統領追慕文化祭に移った。しかし労働者の隊列は大挙して会場から外に出た。
大会決議文は、「イミョンバク大統領の国政刷新」を求め、①国民に対する謝罪および強圧統治の中止、②国政基調転換の明確な措置として4大河川開発事業の中止および言論悪法など制定策動の中止、③金持ち偏向政策の中止、④南北武力衝突に対する反対表明および平和的関係の回復――を要求した。民主党代表は、「2010年、再度民主改革政権を打ち立てよう」と発言した。人民の圧倒的な声は「イミョンバク政権退陣」であるのにも関わらず、野党はこれを、イミョンバクに対する政策変更要請、来年の統一地方選挙の枠に閉じこめようとしているのだ。
しかし集会参加者は追慕祭終了後、「殺人政権退陣!」を叫んでソウル広場横の大漢門前の道路を占拠して警察と対峙した。夜11時過ぎ、警察が強制鎮圧作戦に突入し、大漢門周辺で激突がくりかえされた。
この日の集会には、無期限スト中の金属労組・双龍自動車支部からも150人が結集した。さらに、宅配やトラックの労働者で組織する貨物連帯は、11日0時を起点にストに突入した。労働組合としての認定を求める貨物連帯は10日の記者会見で「ストライキ突入時は港湾封鎖、高速道路占拠などの高強度闘争になる」と述べ、「生存権闘争ではなく李明博政権の暴圧統治、一方通行式の反労働者・反庶民政策を変え、責任を問う闘争になる」と表明した。ソウル市の行政機関で道路清掃などに携わる非正規常勤労働者で組織する公共労組ソウル常用職支部も、外注化阻止・労組弾圧の中止を求めて10日午後、ストに入った(写真)。
22年前の6月闘争は、その後7~9月労働者大闘争を生みだし、95年の民主労総結成へとつながった。2009年の6月闘争は、民主労総組合員のストライキの嵐の中で闘われている。22年前の6月は、世界的には新自由主義全面化の真っ直中だった。2009年の6月は、その新自由主義が世界的に破綻し、資本主義の終わりが始まっている。そして何よりも今、動労千葉を中心に日韓米労働者が一つになる闘いが始まっている。歴史は単なる「時計の逆戻り」ではない。われわれ労働者階級の手で歴史の歯車を一挙に前に進めるのだ。韓国労働者階級の闘いを胸に6・14-15大結集へ!(H)
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