1. HOME
  2. ブログ
  3. 3・25総決起へ、千葉県三里塚集会開く

3・25総決起へ、千葉県三里塚集会開く

s20120319a-1.jpg 3・25全国総決起集会を1週間後に控えた3月18日、千葉市のDC会館で第6回千葉県三里塚集会が実行委員会の主催で開かれた。三里塚芝山連合空港反対同盟を迎え、青年を先頭とする千葉県の労働者、動労千葉組合員、農民、学生、三里塚現闘など80人が「市東さんの農地強奪を許すな!」を合い言葉に参加した。
 冒頭で3・11に福島・郡山を始め全国全世界で闘われた反原発闘争のビデオが上映された。ちば合同労組青年の司会のあいさつに続いて、反対同盟の北原鉱治事務局長が演壇に立った。 

 1966年に佐藤栄作首相と友納武人千葉県知事のもとで住民を無視して三里塚に「国際空港建設」が閣議決定された経緯を、北原さんは怒りを込めて振り返った。そして今日の原発問題と合わせて、国策の名で行われる住民生活の破壊を弾劾し、「ここに集った人たちが新しい政治をつくる時代が来た!」とひときわ熱を込めて訴えた。そして「当初、三里塚集会の参加者は大半が県下の労働者だった。その原点を思い返し、実行委が本日この集会を開いていることは実に心強い。動労千葉と反対同盟の連帯を基礎に、千葉が中心になって3・25を成功させよう」と呼びかけ、参加者は大きな拍手で応えた。
 次に連帯のあいさつとして県内の農民Aさんが発言に立った。Aさんは2月2日に福島で全国農民会議が結成されたことを報告し、「原発事故とTPPは一撃で農民をつぶす攻撃だ。全国の農民の力を結集し、帝国主義打倒へ向かわなければならない。鈴木謙太郎さんの遺志を引き継いで闘う」と決意を表した。
 続いて、反対同盟の伊藤信晴さんと宮本麻子さんが3・25大結集を訴えた。伊藤さんは米韓FTAに対する韓国農民の怒りの高まりを報告し、農地強奪阻止、軍事空港反対の決起を呼びかけた。福島の果樹農家出身の宮本さんは、実家やその周囲で行われている除染作業の実状を報告し、それが農家の期待や安心とはほど遠いものであることを率直に語った。そして市東さんの農地を守るためにともに決起することを訴えた。
 動労千葉の繁沢敬一副委員長は、鈴木謙太郎さんと清水匠さんの早世を悼み、全面外注化攻撃との闘いの前進をバネに3・25三里塚に立ち上がる決意を述べた。
s20120319a-2.jpg 青年労働者のカンパ・アピールをはさみ、三里塚現闘、千葉・星野文昭さんを取り戻す会、裁判員制度はいらない千葉県実行委員会、ちば合同労組、千葉労組交流センター、医療労働者、婦人民主クラブ千葉支部、原発なくせ!ちばアクション、全学連の千葉大生、NAZENの織田陽介事務局長が次々と発言し、自らの闘いの現場の報告と、3・25大結集への決意表明を行った。当日の結集方針を確認して、団結ガンバローを三唱。
 いつもならこれで集会は終了だが、実行委の粋な計らいで、ここから北原鉱治さんの90歳の誕生日をお祝いする催しに移った。花束と檄布の贈呈、特注の巨大ケーキの披露、ハッピーバースデーの合唱――拍手と笑顔が弾けた。過酷な戦争体験を経て、反対同盟事務局長として時に自ら実力闘争の最前面に立ちながら三里塚闘争を半世紀近く率いてきた北原さんの人生を、参加者全員が心から祝福した。
 その熱気のまま交流会につながり、三里塚の勝利を誓って乾杯。北原さんはマイクを握って1978年開港阻止決戦の闘いを語り、青年の奮起を促して座を大いに盛り上げた。歓談と交流の中で、3・25三里塚大結集への気運が一層高められ、この日の集会企画は大成功した。(TN) 

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

アーカイブ

月を選択