星野さん獄死の責任を問う 国・徳島刑務所と医療センターを提訴 原告代理人104人の国賠始まる
沖縄闘争を闘って、無実なのに獄中44年を非転向で闘いぬいた星野文昭さんの獄死から9カ月。星野さんを死に至らしめた獄中での医療放置、医療隠蔽(いんぺい)、医療過誤を問い、死の真相を明らかにする国家賠償請求が、2月21日に提訴された。原告は、獄中結婚し35年を星野さんと共に闘ってきた妻・星野暁子さん、兄・星野治男さん、弟・星野修三さん。原告代理人には星野再審弁護団と共に、総勢104人の弁護士が名前を連ねるという一大訴訟が始まった。
沖縄闘争を闘って
星野文昭さんは、核配備の米軍基地を存続させる沖縄返還に対して燃え上がる沖縄の怒りと結合して闘われた1971年11・14渋谷闘争をデモ隊のリーダーとして闘った。機動隊員死亡の「実行犯」にでっち上げられ指名手配。75年に逮捕され、無期懲役刑と
なった。これは、日米安保体制を揺るがす大闘争に発展した70年安保・沖縄闘争に震え上がった支配階級の報復弾圧だった。だからこそ非転向を貫く星野さんの闘いは、基地撤去を求め、辺野古新基地建設と闘い続ける沖縄との連帯をかけた闘いそのものだった。
安倍政権が改憲・戦争衝動を募らせ、沖縄基地強化と自衛隊増強を図ろうとしている今、星野さん獄死の責任を問う国賠は、この国のあり方に怒るすべての人々と結ぶ新たな、巨大な展望を開く闘いだ。
仮釈放を求め行動
不当逮捕から44年、星野さんは無実を叫び、徳島刑務所で再審を求めてきた。無期懲役30年を迎えた2017年、四国地方更生
保護委員会で星野さんの仮釈放審理が始まることになった。家族、弁護団、全国の救援会はほぼ毎月、13回にわたって更生保護委員会に仮釈放を許可するよう申し入れ、全国から集まった要望書約2万通を提出した。
しかし昨年3月25日、更生保護委員会は星野さんを仮釈放しない判断を行った。この決定が星野さんに口頭で伝えられたのは4月1日、続いて徳島刑務所は17日、「(3月1日に行った)エコー検査の結果異常があるので、あす医療センターに移監する」と告げ、翌18日に車で約10時間、星野さんを東京・昭島市の東日本成人矯正医療センターに移送した。そして5月28日、医療センターで14×11㌢にまで巨大化していた肝臓がんの切除手術が行われたが、30日午後9時44分、帰らぬ人となった。
「巨大な腫瘍」問う
2月21日午後、国賠提訴を終えた原告・星野暁子さんと再審弁護団、星野救援会が記者会見を開いた。
午前11時、東京地裁民事7部に訴状を提出したことが明らかにされ、星野再審弁護団であり、原告の訴訟代理人の藤田城治弁護士が訴状の内容を説明した。
藤田弁護士は「被告は国だが、実際の行為の主体としては徳島刑務所、医
療センターの二者となる」として、「一つ目は、徳島刑務所において継続的な体重減少があり、一昨年6月の血液検査で肝臓の状態を示す数値が変化していた。8月22日には腹部に強い痛みを感じて倒れたが、精密検査をしないまま肝臓がんの進行を放置したこと、二つ目は昨年5月28日に東日本成人矯正医療センターで肝右葉切除手術が行われたが、今回のような大規模な肝臓がんの切除手術をするには不適切な施設であったこと、そして術前のデータから慎重な配慮が求められたにもかかわらず適切な手術を行わなかったこと、術後ICU(集中治療室)に入れず、事実上放置した結果、死亡させたこと。国の責任を追及し、損害賠償を求める」と明らかにした。
藤田弁護士は、徳島刑務所は昨年2月の血液検査で肝臓機能の異常を認め、3月1日には腹部エコー検査を実施し、「肝右葉に肝内腫瘤(しゅりゅう)」を認めながら、当時、更生保護委員会で星野さんの仮釈放審理が大詰めを迎えていたのに、肝臓がんについて更生保護委員会に報告をしなかったと指摘した。
岩井信弁護士も医療センター当直医作成の「死亡診断書」に「肝右葉の巨大な腫瘍(しゅよう)」とあることを指摘、「一体誰が、この腫瘍を巨大にまでさせたのか。この裁判で問いたい」と語った。和久田修弁護士は「無実の星野さんを死に追いやった責任をどう取るのか。国の刑事拘禁政策全体を問いただす訴訟としても重要だ」と語った。
「繰り返させない」
星野暁子さんは、訴状と共に裁判所に陳述書を提出した。「普段、苦しみを口にすることの少ない文昭でしたが、どんなに苦しかっただろうかと思います。『パリッとしたトーストを食べてみたい』というささやかな願いはすぐにも実現できる、解放は目の前と思っていました」と語り、「文昭のような死を繰り返させないために、今日の提訴についてマスコミの皆さんに取り上げていただきたい」と訴えた。
星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議共同代表の戸村裕実さん、狩野満男さんも共に闘う決意を語った。
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