特集
大坂正明同志は無実
でっち上げの極悪判決を許さない! 2・17大坂さん奪還総決起集会
新たな大救援運動を開始
昨年12月22日に行われた大坂正明同志へのでっち上げ「殺人罪」での懲役20年の極悪反動判決に対する怒りを結集して、2月17日夕、「無実の大坂正明さん絶対奪還総決起集会」が東京・杉並で開かれ、170人が集まった。主催は大坂正明さん救援会。
基調報告を救援会の小泉義秀事務局長が行った。捜査段階で検察がねつ造した供述調書のみで懲役20年の有罪判決を言い渡した反動判決を徹底弾劾し、「本日の決起集会から新たな大救援運動を開始しよう」と提起。「昨年をはるかに超える反戦闘争の爆発を実現することが、大坂奪還闘争にとっても第一の課題」だと強調した。東京労組交流センターの山口弘宣代表が大坂さん奪還の闘いの先頭に立つ決意を述べた。
大坂裁判主任弁護人の西村正治弁護士が12・22判決批判を鋭く展開した。「言語道断の一審判決」「高橋康明裁判長、蛯原意(えびはらもとい)、木村航晟(こうえい)、日本の裁判史に残る犯罪的な判決を下した3人の裁判官の名前は忘れずに何十年たっても断罪し続けなければならない」と語気鋭く弾劾した。
弁護団が「50年前の事件の裁判なんかできるのか」と免訴や公訴棄却を求めたのに対し、裁判長は「法廷で判断できる」と言い張って裁判を強行した。だが、判決は前言を覆し「事件発生から50年以上が経過して公判審理が行われている本件事案の特殊性等に鑑みれば、捜査段階で作成された検察官調書を基本として検討する」として公判廷での証言を取り上げず、供述調書だけで判断すると宣言した。なぜか。裁判では、検事が立証の柱としたAR証人がズタズタになり、AO証人とIT証人が大坂さんを知らない、見ていないと明言して検察側立証が完全に破産したからだ。判決のポイントが突き出され、全参加者の認識は深まり、鮮明になった。
動画「渋谷暴動事件 大坂裁判/知られざる真実(前編)」を集会のために作って上映した大坂さんの親族の佐藤政直(まさのぶ)さんが、「正明さんを犯人だと思っている人に分かってもらえるように動画を作っている。多くの署名を集めて控訴審の裁判長を追い込みたい」と述べ、連帯して闘う熱意を伝えた。
大坂さんからの集会に向けてのメッセージが読み上げられ、その不屈の闘魂に応えて闘う決意を込めて拍手で確認された(別掲)。
後半は、星野全国再審連絡会議の狩野満男共同代表を始め、共に闘う決意を込めた9人の発言が怒濤(どとう)のように続いた。全学連の亀井陽慧書記次長は「大坂さんはわれわれに道を指し示している。大坂さんの同志として団結して沖縄闘争、反戦闘争を闘う」と鮮明に決意表明した。
最後に、救援会事務局の杉浦文俊さんが行動提起。「階級的力関係を転換して大坂さんをとり戻そう」と訴え、「大救援運動を正面課題に据えて闘おう」と呼びかけた。署名を集める大運動を開始することが全体の確認になり、元気に団結ガンバローを唱和した。
判決覆す力は沖縄闘争に
大坂さんの集会メッセージ
私への判決は有罪ありきとして暴力的論理が貫かれたものでした。ここで全面的批判を展開することはできませんが、判決の破綻性を示す一点を取りあげたいと思います。
それは私の公判における証言だけではなく、1975年、供述者が逮捕されてから3年後の、奥深山さんらの公判での証言をも「記憶の減退」として否定したことです。
このことは国家が作り上げた裁判制度を根底から否定する論理に他なりません。特に裁判員裁判においては、起訴後3年以上たってから開始される公判が多くなっているのですが、そうした公判廷での証言が、直後の
供述と異なっているものは採用されないということになります。これでは何のための公判かということです。
本来なら、公判での証言が直後の供述と異なっているならば、直後の供述の信用性を疑うことが必要なのです。それを否定しているのですから、裁判制度を否定することと同じことです。
実は私を有罪とするためには、75年の証言を採用するわけにはいかないというのが、この暴論の根拠です。中でも一人の供述者による75年の証言である「(大坂は)白っぽい服装だった」という点と、機動隊を殴っ
ているところは「後ろ姿だけだった」ので別人かもしれないという点を何としても採用してはならなかったというわけです。だから強引に「記憶の減退」としたのです。
このような暴力的な論理をもってする判決には一片たりとも正当性はありません。
しかし裁判制度というものは、国家が階級支配のために作り出した暴力機関ですから、でっち上げ調書を仕立てて行われる裁判には、私たちの勝ち目はないというのが現実です。
控訴審も法廷の中だけで勝利することは極めて困難と思われます。
私はこの判決を覆すことができる力は、反戦闘争、とりわけ沖縄闘争の勝利、あるいは高揚の中にあると考えています。もちろん私の裁判だけではなく、社会を変革する力がこの闘いにはあるのです。だから私が皆さ
んに期待していることは、本土で沖縄闘争を盛り上げていくことです。
沖縄では毎日のように実戦的訓練が行われ、全島が戦場化しています。それに対してウチナンチュは粘り強く、反戦闘争、基地撤去闘争を闘っています。
本土の私たちはもっと沖縄の現実を知り、ウチナンチュの精神を知り、とことん彼らと連帯して、本土の沖縄闘争の高揚をかちとらなければなりません。
半世紀前に私たちが闘った沖縄返還協定反対闘争と、こんにちの沖縄闘争、反戦闘争は一本に繋(つな)がっています。そのためこんにちの沖縄闘争の勝利が私の裁判闘争の勝利をも切り開くと私は考えています。
あらゆる機会をとらえて全国で沖縄闘争を展開してください。
2024年2月6日