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特集

大坂正明同志は無実

大坂正明さん無罪・奪還へ 救援運動を全国に広げよう

講演する西村正治弁護士(2月17日)

2・17集会での西村正治弁護士の発言

 1971年11・14渋谷暴動闘争を闘った大坂正明同志に対する「殺人罪」でっち上げ、懲役20年の一審極悪反動判決を粉砕し、大坂同志を必ず無罪・奪還しよう。大救援運動をまき起こし、控訴審闘争を闘おう。2・17総決起集会(前号既報)での西村正治主任弁護人の発言(要旨)を紹介します。(見出しは編集局)

日本裁判史に残る極悪判決
 大坂さんに対して昨年12月22日、東京地裁刑事第4部は言語道断の一審判決を下しました。高橋康明裁判長、蛯原意(えびはらもとい)、木村航晟(きむらこうせい)の3人の裁判官が名前を連ねました。この3人の名前を覚えてください。日本の裁判史に残る犯罪的な判決を下した裁判官たちです。
 それまで高橋裁判長は、「法廷で聞いたことが重要。それによって判断する」と言い、法廷では「真剣に聞いているんだから邪魔をするな」と言って、発言した傍聴人を退廷させてきました。弁護団が「50年前の事件の裁判なんかできるのか」と言って免訴や公訴棄却を求めたのに対し、高橋裁判長は法廷で判断できると言い張ったのです。
 実際に裁判が始まり、35回の公判廷の中で、検事が立証の柱だとして主尋問だけで6時間もかけて尋問したAR証人がぼろぼろになり、次に重視していたAO証人とIT証人が「大坂さんを知らない、見ていない」と明言して、検事側立証は完全に破綻しました。しかし、判決は法廷を重視すると言ったのを真っ向から覆したのです。
 判決から抜粋します。
 「本件の証拠となる本件目撃者らの供述としては、基本的には、捜査段階で作成された検察官調書、星野公判の証言を録取した裁判官調書、当公判廷における証言が存在することになる。しかし、当公判廷における証言は、本件当時から50年以上が経過してなされたため、記憶の減退や変容が著明である。また、星野公判の裁判官調書も……本件当日から数年が経過して証人尋問が実施されたものであり、相当程度の記憶の減退等が認められる……本件目撃者らの供述の検討に当たっては、捜査段階で作成された検察官調書を基本として、検察官調書の信用性を慎重に検討するという手法によらざるを得ない」
 要するに「当公判廷における証言も、星野裁判における証言も取り上げない。52年前の検察官が作った供述調書だけで判断する」と言い、その言葉通りAO証人の供述調書によって事実認定を始めたのです。
 供述調書という場合に、ちょっと間違いやすい点に注意を喚起しておきたいと思います。過酷な取り調べで証人が「自白」した、「自白調書」が採用された、という言い方をしがちなのですが、これは間違いです。自白というのは自分の行ったことについて自分で話すことです。他人の行ったことを話すのは、「目撃供述」です。この二つには大きな違いがあります。自白は、自分のことですから、本当かうそかのどちらかしかありません。そして、どのように自白がとられたのか、という任意性が主要な問題になります。
目撃供述というのは、本当かうそかのほかに「確かなのかどうか」という要素が入ります。そして任意性というのは通常あまり主要な問題でなくなります。
 自白調書の場合は、自分に不利益な事実を述べたものは、任意性があるものはすべて採用されます。一方、目撃供述の調書は、特に信用すべき状況にある(特信性がある)時に採用されるとなっていますが、特に信用すべき状況という判断は客観的には難しいので、任意性が認められれば特信性はあるとされてしまいがちです。大坂裁判の場合も、検察官面前調書はすべて証拠能力があるとして採用されてしまいました。
 しかし、証拠として採用されても、目撃供述には(任意性とは別に)「確かなのかどうか」という問題があります。ところが、判決は、証拠能力ある証拠だとして、無条件にそれに基づく認定を始めたのです。

供述調書は虚偽、物証は皆無
 AO調書の大坂さんに関する部分は、まさに小説のようです。指揮者星野さんの副官として最初から登場する大坂さんは、中野駅ホームで部隊の整列を命じたり、電車の中で、星野さんが小声で命じたことを大声でみんなに伝えたりしたことになっています。しかし、そんな事実はありません。ほかの誰も言っていませんし、星野さんはそんなまどろこしいことをするはずもないのです。
 また、工学院大学で大坂さんが火炎瓶運びを指示したことにもなっています。捜査官から、「指揮者星野、副官大坂」と吹き込まれたAO証人は、自分の考えた「副官」像に従って、それらしい話を小説のように編み上げたのです。
AO証人は、本件の裁判で「取調官の思惑があって、そのとおりに話さないと、全て話してないというふうに思われる」「大坂さんは、全然知らない人だから話しちゃったのかもしれないです」「大坂さんとは法廷で初めて会いました」と証言しました。
AO証人の当時の客観的状況からみても、この供述調書が真実でないことは明らかであるにもかかわらず、これがすべての出発点として、一審判決は話を進めていくのです。
 そもそも普通、刑事裁判では物証がまずもって論ずべき問題です。一般的には物証がなければ事件にもなりません。しかし大坂裁判では、証拠とされた25枚の写真に大坂さんを写したものが1枚もないのです。写真に写っていないけれどこれは説明がつくのか、ということは判決に当たって越えなければならない最大のハードルのはずです。しかし判決はこれに一言も触れていないのです。

1971年11月14日午後3時19分、神山交番前で機動隊の阻止線に向かうデモ隊。大坂同志は写っていない(内田写真)

 証拠とされている写真には、神山派出所前の白洋舍という建物の中から隠し撮りした23枚の中村写真と、報道カメラマンが神山派出所付近で機動隊の後ろから撮影した2枚の内田写真があります。事件当日、代々木八幡駅を降りたデモ隊は、大向通りを渋谷駅に向かう途中、神山派出所前の新潟県警機動隊27人の阻止線の前でいったん止まり、これを突破すべく再び走りだしました。
 中村写真は機動隊の阻止線に突撃するデモ隊の先頭部分からデモ隊の最後尾まで細かく全部撮影されています。内田写真は、道路いっぱいに広がって突撃する直前のデモ隊の最前列の数十人が正面から撮影されています(写真参照)。
 判決は、AR供述に基づき「(阻止線に向かって大坂は)真っ先に飛び出し、逃げ遅れた機動隊員に駆け寄り殴打した」と認定しているのですが、中村写真にも内田写真にも大坂さんは写っていません。中村写真は、警察や検察にとって、「機動隊員を殴打した」人物を決めつけるために、極めて重要な写真です。「特別捜査本部」は多くの捜査員を投入して人物特定を急ぎましたが、デモ隊の先頭から後尾までずっと撮影した中に大坂さんを特定することはできなかったのです。実際にいなかったのだから写真に写っていないのは当然です。

供述の矛盾と破綻は明白だ
 さらに判決は、4人の「供述調書」の矛盾をご都合主義的に解釈し、勝手な決めつけを連発します。供述内容に矛盾があるのは供述がうそで、捜査官からそれを強要されたからにほかなりません。ところが判決は、この矛盾を「供述が捜査官の誘導ではなく自発的に行われたことを示す」と百八十度転倒した評価をするのです。また「機動隊員を殴打したのは何人か」「大坂はどこにいたのか」について、供述を強要された者たちはみんなその内容が異なり、ほとんど一致しません。どれも真実ではないからです。ところが、判決はこれについて「現場の混乱や、ショッキングな出来事を目撃したために記憶が欠落した」などと勝手な理屈をこねまわし、それどころか、「供述は核心において一致していて、供述の矛盾があることが相互に信用性を高めている」とまで強弁するのです。
 判決の特徴として重大なことは、判決は検事側立証の柱であったAR証人を軸に据えることができなかったことです。AR証人に対する弁護団の反対尋問で決定的破綻が突きつけられたからです。
 AR証人は、星野裁判では、「殴打現場で見た大坂は後ろ姿で分かった」と言っていました。これが今回、「顔を見た」に変わりました。その理由を追及されると、AR証人は「供述をはしょった」とか「殴打現場を通り過ぎて戻ってきたから顔が見えた」などとごまかそうとしました。しかしAR証人は、供述調書に添付された詳細な略図が、内田写真と全く一致しないということを指摘され、完全に破産しました。AR証人もAO証人も、略図に記されたとおりに写っているのに、大坂さんだけがそこにいないのです。
 さらにAR証人は「大坂は白い服を着ていた」と星野裁判から一貫して証言しており、大坂裁判でもこれを維持しました。その白い服の人物が、内田写真の中にいます。AR証人作成の略図に「大坂」と書かれた位置にいます。しかしその人物は「反戦」(労働者)のヘルメットをかぶり、服装も体格も大坂さんと一致しない別人だったのです。
 検事側立証の柱であるAR証人が破産し、AO、ITの2人が事件当時の供述調書を明確に否定しました。本来なら、これだけで大坂さんは無罪です。だが裁判所は破綻したAR証人に替えてAO供述調書を判決の軸に据え、あらゆる矛盾を説明抜きに「信用できるAO供述調書を補強するもの」に替えました。判決は「ARは服装で大坂を特定していない」とだけ述べ、大坂さんの無実を明らかにした写真という「物証」を無視し、「大坂が最先頭で走った」と認定したのです。
 いよいよ控訴審が始まります。なんとしても控訴審で逆転無罪判決を勝ちとるため、弁護団は全力で闘います。救援会の皆さん、ともに闘いましょう。