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大坂正明同志は無実

大坂裁判第14・15回 中津川元検事 黙秘権侵害を開き直る

科警研部長が目撃供述証言で破綻

1971年11・14沖縄返還協定批准阻止・渋谷闘争ででっち上げ「殺人罪」で起訴されている大坂正明同志の第14、15回公判が東京地裁刑事第4部(高橋康明裁判長)で3月6、7の連日行われた。大坂同志はでっち上げ弾圧を絶対許さない、屈しないという気迫で、元気に出廷した。

6日は、警察庁科学警察研究所(科警研)の渡邊和美(犯罪行動科学部長)が検察側証人として出廷、前回までの心理学者である厳島行雄、原聰両氏の証言を否定するための言説を連ねた。「選択的に注意を払っているものについては記憶に残りやすい」とか「目立っている動きは記憶できないことはない」などと、目撃供述が信用できるものと強弁した。
弁護人は、科警研の意見書とこの日の渡邊証言が、「大坂さんが殴打していた」と虚偽供述をした群馬県下の学生5人と、大坂さんが既知の(見知った)関係にあったという前提で組み立てられているが、それは事実に反し、大坂さんと5人は全く面識がなく、会話を交わしたこともないことを突いた。渡邊は検察官から誤った情報を与えられていたことを知り、一部撤回に追い込まれた。

黙秘権侵害を開き直る中津川

7日の第15回公判は、1971年11・14沖縄闘争に対するでっち上げ弾圧の中心人物だった当時の検事・中津川彰の証人尋問が行われた。
中津川は1月に証人尋問が予定されていたが、体調不良で不出頭となり、この日改めて証言台に着いた。検察側の立証趣旨は、「50年前のことで本人が高齢であり記憶にない」というものであり、1982年に行われた、星野文昭さんの控訴審での中津川の証言を証拠として採用させようということである。

検察側の主尋問に対して多くのことを「記憶にない」と答え、またAOとARを取り違えるなどの混乱が見られたが、弁護側の追及で、当時の取り調べの実態が暴き出された。
中津川は、AR、AO、OT、SBの取り調べを担当し、それぞれから「星野、大坂、奥深山が、死亡した警察官を殴打していた」という供述書をでっち上げた。
中津川は、黙秘を続ける当時17歳のARの両親を警視庁地下取調室に入れて同席させ、父親に顔面を殴らせた悪名高い検事である。中津川の目の前で、父親はARに「メガネを取れ」と言って顔面を拳で殴ったのだ。このことについて中津川は、「立派に更生してもらおうと警視庁を訪ねてきた親を会わせてあげた」と開き直った。弁護士は「どうして親の同席を認めたのだ」「殴ったのは黙秘権を侵害する違法行為と考えないか」の尋問に対し、中津川は「考えない」と言い放った。
また中津川は、「先に警察が取り調べ、私はそのおさらいをやった」「取り調べは検察庁に呼んで行うべきものだが、警視庁や渋谷署など代用監獄の警察に出向いてやった」などを認め、警察での長時間に及ぶ拷問的取調と一体となってでっち上げを重ねた実態を認めた。

中津川証言の後、検察側は実質的な証言を得られなかったとして、過去の裁判調書を法廷に出すことを求め、裁判長はこれを認めて次回公判で検察側が読み上げることを決定した。

接見禁止を継続

弁護人は「本日が期限の大坂さんの接見禁止を絶対に解除してほしい。検察側立証も終わっており、証拠隠滅の抽象的な可能性もない」と強く要求した。
翌3月8日、東京地裁刑事第4部は、大坂同志への接見禁止をさらに4月24日まで継続すると決定した。6年もの接見禁止は拷問以外の何ものでもない。戦時下の獄中弾圧だ。大坂同志との自由な面会・差し入れを認めよ。直ちに接見禁止を解除しろ!