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現闘本部裁判萩原事務局次長証言、NAAのウソ打ち砕く

 6月25日、千葉地裁で天神峰現闘本部裁判が開かれ、三里塚反対同盟事務局次長・萩原進さんが証言台に立った。原告・空港会社(NAA)のウソを根底から打ち砕く証言に圧倒された仲戸川隆人裁判長はまたしても、証拠調べの打ち切りを宣言する大暴挙を行い、支援・傍聴に駆けつけた80人の労働者・学生が反対同盟とともに徹底弾劾して闘いぬいた。


 萩原さんは証人宣誓の後、生い立ちから語り始めた。東峰という戦後の開拓部落で苦労して育った青年だった。国からシルクコンビナート(近代的養蚕事業)構想が提示され、必死に取り組んだ。だが新空港決定で一瞬で吹き飛ばされた。「国策とは何だ。戦争となれば兵隊に取られ、食糧を供出させられ、戦後は空港問題で土地を寄こせと迫られる。私は農民として、空港と一生かけて闘うと決意した」と怒りを表した。
 反対同盟元副委員長の石橋政次氏とは家族ぐるみのつき合いだった。副委員長解任後にも石橋氏が「現闘本部は残す」と明言したことを確認した。「空港問題が村落共同体を破壊した。空港に賛成して出ていく者はいない」と萩原さんは悔しさをにじませた。
 その後移転先の石橋家を訪れ、息子の武司氏と何度か話し合い、1988年5月に現闘本部の増改築を告げ、年間5万円の地代を支払うことにした。武司氏は最初はお金を受け取ることを固辞したが、受け取った上でカンパとして同じ金額を反対同盟に提出した。そのいきさつを詳しく再現した。
 NAAが出してきた武司氏の妻・恵美子氏の陳述書は「義父は嫌がらせを受けて底地を残すしかなかった」などと事実を180度ねじ曲げて描いている。萩原さんはこれがNAAの作文に過ぎないことを怒りを込めて指摘し、批判した。そして「石橋は反対運動のため現闘本部を残していった」という事実が揺るがぬことを告げ、建物の実地検証を要求し、3時間を超える証言を終えた。NAA代理人は、反対尋問を一切放棄した。
 続いて、反対同盟法対部として活動していた元永修二氏が証言した。石橋家に15回地代を払いに行った様子を語り、武司氏が「反対運動が続く限り使用を親父の名で約束した」と公団の土地譲渡の申し入れを拒絶したことを明らかにした。
 この証言の迫真性に追いつめられた仲戸川裁判長は、反対同盟側が再三要求してきた石橋証人、法理証人の再喚問と建物の実地検証を却下し、証拠調べを打ちきり、次回を最終弁論とすることを一方的に宣言した。一瞬にして法廷が怒りのるつぼと化し、反対同盟、弁護団、傍聴者が一体で仲戸川を追及した。
 千葉市ビジネス支援センターで弾劾決起集会が開かれた。北原事務局長は、「今日の裁判は絶対に認められない!」と語気を荒げた。葉山岳夫弁護士始め弁護団全員が、証人尋問で仲戸川を追いつめた手応えを感じつつ、裁判所の大暴挙を断罪した。動労千葉の後藤俊哉さん、群馬の青柳晃玄さん、関西実行委などが連帯のあいさつを行った。萩原進さんは「今日は敵を押し込んだ。極悪裁判長仲戸川を孫子の代まで追いつめてやる。まずは7・5の大爆発だ!」と結んだ。「農地死守」を貫く反対同盟にこたえ、7・5三里塚現地闘争に大結集しよう。(7月5日【日】午後1時30分 東峰十字路北側開拓道路集合/敷地内デモ)

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