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ビキニデー56周年・東京で反戦反核集会かちとる

 1954年3月1日、大石又七さん達が乗った第五福竜丸が、米帝のビキニ環礁での水爆実験で被爆してから56周年。2月27日、東京・杉並の産業商工会館でビキニデー反戦反核東京集会が開催された。北島邦彦杉並区議の司会で始まった集会のメイン企画は、第五福竜丸の元乗組員・大石又七さんと核問題研究情報センター・吉田義久さんとの「反核対談」だ。コーディネーターは8・6広島-8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委の三角忠さんがつとめた。

 大石さんは、当時の状況にふれながら、内部被曝の恐怖、差別に苦しんできた自らを語り、米帝と共に「ビキニ事件」を隠蔽し、「平和利用」と称して核技術開発、原発・核武装推進の日帝を鋭く告発した。とりわけ、日本が核を持っていたら「米国に(核)報復する」と暴言した田母神を許さず、すべての核兵器と戦争・軍隊をなくすために力を尽くすと表明。会場から連帯の拍手が一斉に送られた。吉田さんは、戦後の米ソ核開発の歴史をたどりつつ、米ソによる世界分割支配が核実験・核開発競争、核戦争体制であったこと、その中で米帝によってビキニ被爆が引き起こされた歴史、オバマ演説の虚構を弾劾した。そして鳩山政権が「もんじゅ」再稼働、原発輸出などに突き進む、自民党以上に凶暴な政権であり、階級闘争の勝利が核政策・核戦争に決着をつける、と喝破した。
 その後の3本の特別報告は、「核対談」の基調をさらに鮮明にした。元共同通信記者・土井淑平さんは、米帝の核開発による米先住民のウラン被曝や人形峠のウラン鉱毒事件における地元住民の闘いなどを紹介し、全世界が核に汚染されている現実と闘う、と訴えた。核燃と闘う青森六ケ所現地からは、青森は第二の沖縄になろうとしていると提起があり、原発下請けの沖縄労働者が被曝し死亡した現実に向き合い、被曝労働を強制する資本と闘いぬくこと、「4・9反核燃の日」連続行動への結集が訴えられた。後藤俊哉動労千葉執行委員は、検修外注化・民営化と徹底的に闘い、第2波実力ストでJR資本の組織破壊攻撃と対決するとの決意を表明し、集会の心棒を立てる発言を行った。続いて、闘う東京西部ユニオン、法大闘争・訪米闘争を闘う全学連の学生から決意が述べられた。北陸労組交流センターの3月「もんじゅ運転再開阻止!」緊急闘争へのアピールが読みあげられ、敦賀現地への代表派遣に会場から多くのカンパが寄せられた。
 「核と戦争のない社会」とは労働者が主体の社会の建設であり、大石さんの怒りは労働者階級の怒りだ。集会は「核は労働者階級の階級的団結の力によってしか廃絶できない」ことをいっそう明らかにした。3・20ワーカーズアクション、3・28三里塚現地大闘争の爆発をもぎとり、戦争・核武装の鳩山をぶっ倒そう!(東京西部ユニオン M・N)

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