動労千葉鉄建公団訴訟、問答無用の結審策動を徹底弾劾
動労千葉鉄建公団訴訟の第27回口頭弁論が5月18日、東京地裁民事11部で開かれた。白石哲裁判長はこの場で、首切りの張本人である葛西敬之(現JR東海会長)の証人請求を問答無用に却下した。絶対に許すことはできない。
口頭弁論に先立って東京地裁包囲デモが行われた。前回を倍する動労千葉組合員が集まり、国労の闘う仲間、動労千葉を支援する会会員とともに「結審策動を許さないぞ! 葛西証人採用しろ!」と叫びながら霞が関デモを闘いぬいた。
口頭弁論では、まず動労千葉争議団の江口治男さん、塩崎昭広さんの証言が行われた。
国鉄に就職した江口さんは電車運転士となって津田沼電車区、千葉運転区で勤務した。10万キロ無事故の表彰を4回も受けた優秀な運転士だった。国鉄分割・民営化反対を掲げた1985~86年の2波のスト当時は、千葉運転区支部執行委員で、「ストの指導責任」を理由に3カ月の停職処分を2回受けた。江口さんは「そもそも支部にはストを決定・指導する権限はない。処分はまったく不当だ」と述べた。そして「この処分がJR不採用の理由だという説明を正式に受けたことは、今に至るも一度もない」と怒りを込めて語った。最後に江口さんは「首を切った張本人を法廷に呼んでもらい直接話を聞きたい」と葛西の証人採用を強く求めた。
続いて証言した塩崎さんは、新小岩機関区での勤務を経て館山運転区で電車運転士になった。85~86年のスト当時は館山支部書記長だった。塩崎さんは「10万人もの国鉄職員の首が切られようとしていた。全組合員が団結して闘おうという気持ちだった」と当時の熱い思いを振り返った。塩崎さんは「第2波ストの指導責任」を理由に6カ月の停職処分を受けたが、同じ理由で公労法解雇となった館山支部長の笹生亘さんの処分は1997年の和解で撤回されている。「それよりも軽い私の停職処分も撤回されて当然だし、それを理由としたJR不採用も撤回されるべきだ」と怒りを込めて言い切った。
2人の証言の後、原告代理人はあらためて葛西の証人採用を求めたが、白石裁判長は葛西証人の採用を却下、次回口頭弁論期日の8月3日で「結審したい」と告げた。傍聴者や原告代理人は国鉄分割・民営化攻撃の真実を覆い隠そうとする白石裁判長を猛然と追及、法廷はさながら団交のような状況となった。白石裁判長は「もう裁判を終結させるべき時期だ」「葛西さんは他の裁判でも証言している」と理由にならない言い訳を並べ立てたが、最後には顔を引きつらせて「これ以上、答えません」と言い捨てて逃げ去った。
地裁前での総括集会で田中康宏委員長は「きわめて不当な停職処分を理由にJR不採用とされたのに『停職処分の無効確認』の訴えも却下する。首を切った張本人である葛西も調べない。こんなものは裁判でもなんでもない。震災解雇が吹き荒れ、公務員労働者への国鉄型大量解雇が狙われている中、なんとしても1047名闘争を終わらせようという政治的決定そのものだ」と白石裁判長を徹底弾劾した。川崎昌浩執行委員は「国鉄闘争全国運動を軸に力関係の転換をかちとり実力で解雇を撤回させよう」と訴え、6・5大集会への大結集を呼びかけた。
●鉄運機構本社に抗議・申し入れ
この日の午前中、国労秋田闘争団の小玉忠憲さん、国労小倉地区闘争団の羽廣憲さんを先頭に鉄道運輸機構本社(横浜市桜木町)への抗議・申し入れ行動が行われた。機構側は当初、「裁判で係争中なので裁判の場で争う」と申し入れ拒否の姿勢を示していた。しかし、早朝からの機構本社前ビラまきと抗議の大情宣に追い詰められ、対応せざるをえなかった。小玉さんは和解を拒否した4人の国労闘争団員連名の申入書を読み上げ職員課の担当者に手渡した。参加者は怒りのシュプレヒコールを機構本社に再度浴びせ、動労千葉鉄建公団訴訟に向かった。(O)
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