市東さん農地裁判、山崎証人が”NAAの言いなりだった”と自認
6月25日、千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で市東孝雄さんの農地裁判(行政訴訟と農地裁判が併合)が開かれ、市東さんを先頭に三里塚芝山連合空港反対同盟、顧問弁護団、支援・傍聴の労働者・農民・学生・市民が一丸となって闘った。今回の証人調べは、元成田市農業委員会事務局長の山崎真一。2006年7月3日、成田空港会社(NAA)は市東さんの耕作地の賃貸借契約解除のための申請書を成田市農業委員会に提出した。市東さんと反対同盟はNAAの違法や土地特定の誤認を強く指摘したが、同委員会はそれを無視して異例のスピードで手続きを進め、NAAの言うがままに「転用相当」の結論を出し、千葉県に進達した。山崎はその実情を知る人物だ。
午後1時半に開廷。明らかになったのは、農業委員会という機関が骨の髄までNAAに屈服し、農地収奪の手先に成り下がった現実だった。土地特定の誤りがあることを市東さんから強く訴えられたことについて弁護団が問い質すと山崎は、「農地法20条2項の転用にあたるかだけを審査した」と逃げるのに必死だ。
ここで市東さんがち上がり、自ら気迫を込めた尋問を行った。7月19日に農業委員会とNAAが車2台に分乗し、畑の「実地調査」に来たときのことを問いつめた。「あの時私は畑にいた。あなたたちは車から降りて1分もたたずに立ち去った」と指摘した。耕作地の位置や空港の境界などは調べず、形だけの調査だったことが浮き彫りになった。さらに市東さんは審理手続きの異様なまでの拙速さについて追及したが、山崎は責任逃れに終始した。
続けて弁護団は、NAAが土地の底地を取得した時期について虚偽の記載を行い、農地を秘密裏に買収したのち転用もせずに持ち続けてきたという重大な違法を指摘した。山崎が「それほど大きなことではないと思った」と言い逃れに走るや、「何のための委員会だ!」と傍聴席から次々と怒声が起きた。また、農地が空港敷地の内外にまたがっていることを追及された山崎は、「当時その認識がなかった。公団から説明はなかった」という決定的事実を暴露した。「農地取得自体が違法、無効になる」と指摘されるとNAAの入れ知恵そのままに「内外一体として考えていた(問題ない)」などと繰り返した。「結局NAAが空港事業として申請したら、調べもせずすべてフリーパスということか」と詰め寄られると山崎は、「結果としてそうです」とあけすけに認めた。
3時間を超す厳しい尋問を受けた山崎がすごすごと引き下がった後に、多見谷裁判長が本性をむき出しにした。
多見谷は突然一方的に、「10月15日の石指雅啓証人(元国土交通省成田空港課長)の尋問方法について、神戸地裁に呼んでテレビ会議システムで行う」と通告したのだ。「証人は海上保安庁の要職にあり、現場を離れられない」というのが理由だ。NAA側の要求を全面的に受け入れ、証人への直接尋問をさせないという、裁判の原則を破壊する大暴挙だ。弁護団は全員が「認められない!」と弾劾した。傍聴席は怒りで沸騰した。裁判長は怒号の中「閉廷」を宣し、NAAと千葉県の代理人はいち早く逃亡した。だが弁護団と傍聴者は誰一人動こうとしない。弁護団は「進行協議の日程を入れろ」と激しく要求した。裁判長はかたくなにこれを拒否し、職員を前面に立てて退廷を促す。
緊迫した膠着状態が十数分続いた。折れたのは裁判長だった。苦虫をかみつぶしたような顔で、進行協議の具体的日取りを弁護団に示した。弁護団は「テレビ会議方式は絶対に認めない」との意思を再度示して、法廷での攻防を締めくくった。次回の農地裁判は9月10日。
裁判所近くの会場で報告集会が、全員一丸となって闘った高揚感の中で開かれた。最初に市東さんがあいさつに立った。「空港のやり方をあらためて思い知った。裁判長も許せない。これからもどんどん声を出してやります」と決意を表し、大拍手を受けた。続いて葉山岳夫弁護士を先頭に弁護団全員が発言し、農業委員会の現実と裁判長の暴挙を振り返り、非妥協で闘う姿勢を明らかにした。農業委員を経験したことがある県内の農民は、「農業委員会は農地と農民の権利を守る行政機関。他市町村に比べても、空港に偏る成田の姿は異常」と怒りを込めて訴えた。北原鉱治事務局長は弁護団の奮闘を称え、7・8三里塚現地闘争への大結集を訴えた。最後に萩原進事務局次長が、「農業委員会は農地転用機関へと変質している。裁判所の正体もあぶり出された。7・8に現地大結集を実現することが裁判での力関係も変える。全力で闘おう!」と一同に奮起を促した(TN)。
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