8・6広島報告③ フクシマと怒り一つに「ヒロシマ大行動」集会・デモ打ち抜く
「被曝67周年 8・6ヒロシマ大行動」集会が8月6日午後、広島市の総合体育館小アリーナで行われ、1300人が結集して大成功した。今年の8・6大行動は、福島第一原発事故を絶対に許さず、ヒロシマ・ナガサキがフクシマと怒りをともにする闘いとしてして闘われた。さらに核と原発をめぐる日帝との最大の攻防点である内部被爆と被曝労働の大テーマに切り込む、画期的な闘いとしてかちとられた。
反戦被爆者の会の下田禮子さんの開会あいさつの後、最初に「広島の被爆者の訴え」として、広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会事務局次長の松本正行さんと、高陽第一診療所の患者であるひまわり会の佐々木澄江さんが発言した。
松本さんは「国は1976年、『黒い雨』の大雨地域を健康診断特例地域に指定し、降雨時そこにいた人に被爆者健康手帳を交付した。この地域指定に対して『小雨地域はなぜ指定しないのか』と運動が起こった」と地図を掲げて報告。「2010年、厚労省へ6350人の署名を持って陳情したが、厚労省は認めなかった」と弾劾し、ともに闘う意思を表明した。続いて佐々木さんが6歳の時に自宅で被爆した体験を語り、「福島の子どもたちがとても心配です。行動を起こしましょう」と呼びかけた。
福島から、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの佐藤幸子さんが発言に立ち、「健康調査は症状を書く欄もなく誰も信用していない。子どもたちの甲状腺の結果も開示してもらえない」と、子どもたちの命を守るために闘うことを訴えた。続いて愛媛県職員労働組合執行委員長の宇都宮理さんが、労働組合として原発に反対するのは被曝労働反対の立場から当然と言い切り、「動労水戸のように、仲間を被曝させない、業務で住民を被曝させないのが労働組合らしい闘い」と明言し、さらに伊方原発再稼働阻止を呼びかけた。
会場の割れるような拍手に迎えられ、ドイツからゴアレーベン核廃棄物処分場建設反対同盟の3人の仲間が登壇した。委員長のマーティン・ドナートさんが「私たちは原発に反対し、核廃棄物の輸送に反対する闘いを続けてきた」「ドイツ政府は2022年までに原発をなくすと言っている。私たちは即時廃止を求めて行く」と熱い決意を語った。前委員長のケアスティン・ルーディックさんは「原発の平和利用などない」と核のない社会の建設を呼びかけ、最後に日本語で「ゲンパツハンタイ!」「ノダカエレ!」と声を張り上げた。
福島診療所建設のアピールを高陽第一診療所医師の吉田良順さんが行い、「避難が最優先だが、福島に住み続けざるをえない人がたくさんいる。県のやっていることは、命や健康を守ることよりも『心配ない』と徹底させることが目的」と弾劾し、診療所建設への支援を訴えた。
続いて「被曝労働を許さない」として、元全日本運輸一般労働組合原子力発電所分会の斉藤征二さんが発言に立った。斉藤さんは「国は内部被爆をまったく言わない。原発は必要ない。人の命を虫けらのように扱い、労働者を使い捨てにすることを許してはならない」と言い切り、「私たちが闘うには闘う労働組合が必要。労働組合が中心になって原発をすべて廃炉にしよう」と先駆的な経験に基づき闘いの方向を示した。最後に「核のない平等な社会をつくっていこう。命ある限り力いっぱい頑張っていく」と気迫に満ちた声で語った。
発言の最後に、反原発と国鉄闘争を闘う労働組合からのアピールを動労千葉副委員長の繁沢敬一さんが行った。「外注化との闘いは原発との闘いと一体。明日から動労千葉は指名ストに入る」と、10・1外注化阻止決戦突入を報告し、必ず勝利する決意を語った。
広島大生の鈴木研也さんが「8・6大行動宣言」を若々しい声で読み上げ、閉会あいさつと行動提起をセイブ・ザ・イラクチルドレン広島の大江厚子さんが行った。NAZEN事務局次長の富田翔子さんが「デモに行くぞ!」と力強く呼びかけた。最後に呼びかけ人で島根人類愛善会会長の松浦武生さんの音頭で「団結がんばろー」を三唱した。
集会後、参加者は意気高くデモ行進に打って出た。旗やのぼりを林立させ、元気なコールを響かせる隊列に、どこでも市民や全国・世界から「8・6ヒロシマ」に駆けつけた人々が注目。平和記念公園での総括集会では被爆者青年同盟の中島健さんが「広島・長崎は福島の怒りをともにする。今こそすべての核と原発を無くそう」と声を張り上げて訴え、熱い闘いを大成功のうちに締めくくった。(H)
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