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一坪共有地裁判で小長井弁護士が証言、「会の目的は空港反対」

20151104a-1.JPG 10月29日、千葉地裁民事第5部(鹿子木康裁判長)で、一坪共有地裁判の弁論が開かれた。
 この裁判は反対同盟の鈴木幸司さん(故人)、いとさん夫妻が共有権を持つ駒井野の一坪共有地について、2006年に千葉県が明け渡しを求めて起こした訴訟である。
 この日は、2人目の証人として、三里塚芝山連合空港反対同盟発足当初の顧問弁護団団長であった小長井良浩弁護士が立ち、一坪共有地運動とは何かについて根本的、全面的に明らかにする証言を行った。顧問弁護団事務局長の葉山岳夫弁護士が質問を行った。

 「新東京国際空港」は、当初千葉県富里市に内定し、地元では反対運動が急激に活発化した。こうした中で若き日の小長井弁護士は社会党の依頼によって、富里空港反対運動の顧問弁護士となった。1966年2月の県庁の空港対策室に対する抗議行動で、警察は3人の農民を対策室に突入したとして逮捕したが、それが誤認逮捕と判明し、3人はすぐに釈放された。このことで反対運動は大いに意気が上がり、そこで新たな闘いの方法として始められたのが、一坪共有地運動であった。小長井弁護士は、当時の社会党参議院議員・加瀬完氏から示唆・助言を受けて、「富里に土地を持つ会」を創生し、運動の手引きや会則を作成していった。すなわち、地元から提供された土地を全国の人が共有することで、空港反対運動に参加し、富里と連帯し、土地収用などの手続きを煩雑化し、収用を阻止の力となるというものである。判例も参考にしながら、会は民法上の組合契約とした。
 地元から提供された土地一筆ごとに組合契約を結び、共有者は300円を出資し、それは反対運動に利用する資金とされ、土地は組合員全員の共有となった。組合の事業目的は「空港設置に反対する」と、明白であった。
 組合財産としての一坪共有地の共有の性格は、厳密に言えば、「合有」であり、当然にも分割は禁じられ、個々人が勝手に処分することなどできない。このことは会則にも明記した。
 会則は、加瀬参議院議員が当時の高辻正己法制局長官(後に最高裁判事)と協議してつくったものだった。
 富里案が反対運動の力で阻止されたことで、佐藤首相と友納県知事との会談・合意を経て、空港予定地は三里塚と内定し、直後に強引に閣議決定に到った。66年7月に、三里塚芝山連合空港反対同盟が結成され、戸村一作委員長の依頼で小長井弁護士らは、富里に続き三里塚でも顧問弁護士を引き受けた。三里塚の運動でも富里の成果を踏まえ、同じ性格、ほぼ同じ会則の「三里塚周辺に土地を持つ会」をつくった。目的は三里塚における空港計画の撤廃であり、組合としての目的・手段は明確である。会は116人の共有者から発足し、その後労働組合などからのまとまった加入によって、2345人まで拡大した。
 71年の第1次、第2次強制代執行との闘いでは、反対同盟は一坪共有地に立てこもって闘った。共有運動が実際の闘争の中で生きたのだ。
 小長井証人は富里と三里塚を貫く一坪共有地運動の全体像を、その運動を編み出した主導した当事者だけが再現できるリアルさで語った。そしてこの裁判で原告の千葉県が一坪運動に対し、「土地を使用する目的がない。単に土地を共有するだけ」とケチつけしていることについて、考えを聞かれると、小長井証人は即座に「虚偽ですね」と答え、利益を生む事業にしか意味を見出せないという県の浅はかな思慮を一撃した。そして、重ねて「空港反対こそ会の目的であり、反対運動として有効、適切、攻撃的なものだった。空港公団側からも”傑作”との評価が与えられたと伝わってきた」と述べ、主尋問を終了した。
 自らの主張を完全に論破された原告・千葉県は、あせりにかられて反対尋問に入ったが、無意味な問いをいくつか投げかけただけで終わった。
 2時間弱の証人尋問が終わると、裁判長が原告・千葉県に対し、今後の証人の採否にかかわることとして次のような三点について、意見・主張を表すよう要求した。
 原告はこの土地の取得後の利用計画を示す必要がある。①千葉県企業庁は解散するとされているが、後継組織はどうなるのか。②平成27年度を、めどに造成というが、変更はないのか。その後についてはどうするのか。③千葉県が土地を取得しそれをNAAに譲渡するとしているが、その後に土地はどのように扱われるのか。例えば緑化するとしたら、全面的価格賠償方式を用いる必要がない。物流基地にすると言っていたことに変更はないのか。その裏づけはあるのか。
 原告・県の代理人弁護士は、予想もしていなかった要求が裁判長から出されて顔色を変えた。これらは反対同盟側も追及していた県の計画の破産点だが、県はその具体的内容に一切答えず、法も道理もふみにじる形で全面的価格賠償方式で一坪共有地を取る、裁判所からそのお墨付きを得られると県は踏んでいたのだ。早期に提出するよう裁判長から念押しされ、県の代理人が暗い表情でうなだれる中、閉廷した。次回12月17日には、埼玉大学名誉教授・鎌倉孝夫氏の証人尋問が行われる。
 千葉県弁護士会館で、伊藤信晴さんの司会で報告集会が開かれた。最初に小長井弁護士が2時間近い証言のつかれも見せずにあいさつにたった。「”闘いは法廷外で決まる”と言われる。空港反対闘争が長く続き、今日もこれだけ多くの人たちが傍聴に駆けつけているのは心強く思う。今後もその意気込みで空港反対を貫いてください」と一同を激励した。
 続いて主尋問を行った葉山弁護士を始め弁護団があいさつし、小長井証言の重要ポイントを解説し、県側に大打撃を与えたことを確認した。
 また、裁判長の原告・県への「要求」は、破産した県へのテコ入れとも言え、次回以降もこちらの主導権を離さず徹底的に追及していくことを確認した。(TN

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