三里塚50周年東京集会盛大にかちとる
7月3日、東京・すみだ産業会館で「三里塚闘争50周年!これからも闘うぞ――農地を守り、沖縄・福島と結ぶ7・3東京集会」が、三里塚芝山連合空港反対同盟の主催で開催され、全国から630人が参加した。
1966年、千葉県成田市三里塚に「新東京国際空港建設」が閣議決定され、反対同盟は「空港絶対反対・農地死守」の原則で闘いを貫き、ついに半世紀の歴史を刻んでこの日を迎えたのだ。
午前10時から小川プロ製作の映画「三里塚の夏」が上映された。闘争創成期68年における反対同盟農民と空港公団・警察機動隊との現地攻防・実力闘争に肉薄したドキュメンタリー。続いて新作DVD「三里塚闘争不屈の50年――市東さんの農地守れ/第3滑走路阻止!」のダイジェスト版が上映された。この二つの映像作品で、三里塚50年が今日まで一貫して国家権力との非妥協の揺るぎない闘いの歴史であることを、あらためて全参加者が確信し感動が広がった。
昼休みにはロビーで反対同盟が準備したTシャツ、ハチマキ、缶バッジ、DVDなどがにぎやかに販売され、また会場隣りでは福島菊次郎の三里塚写真展が開かれ、活気を呈した。
12時40分に反対同盟事務局・萩原富夫さんの司会で午後の集会が始まった。最初に、療養中の北原鉱治事務局長の集会へのメッセージを、天神峰の市東孝雄さんが代読した。「絶対に戦争の参加を繰り返させない。農地を守る闘いは戦争への道を阻止すること」という訴えが心に響いた。
続いて「浪速の唄う巨人パギやん」こと趙博さんのミニライブが行われ、会場を沸かせた。
続いてゲスト・スピーカーとして一人目に、共同通信の記者として96~99年に三里塚を取材した新崎盛吾さんが登壇し、当時の反対同盟のとの交流のエピソードなどを語り「反対運動50年に敬意を表します」とあいさつした。二人目に、ジャーナリストの天笠啓祐さんが立ち、多国籍企業の種子支配や日本政府の農業切り捨て政策に警鐘を鳴らし、三里塚闘争への期待を表した。
続いて、市東孝雄さんが発言に立った。「100年文句を言われずに耕してきた土地。空港を造るからどけと言われて譲るわけにはいかない。安倍政権をひっくり返す闘いを三里塚現地から起こす」と力強く不動の決意を述べ、万雷の拍手を浴びた。
反対同盟顧問弁護団事務局長の葉山岳夫弁護士は、農地法裁判(最高裁)、耕作権裁判(千葉地裁)の現状を解説し、空港公団=空港会社(NAA)の無法を糾弾して裁判勝利の決意を述べた。
市東さんの農地取り上げに反対する会のあいさつに続き、動労千葉の田中康宏委員長は、70~80年代のジェット燃料貨車輸送阻止闘争に動労千葉が決起する経緯を語り、「労働者と農民の連帯の中に安倍政権を倒す力がある」と訴えた。
全日本建設運輸連帯労組関西地区生コン支部の西山直洋さんは、「関生も50周年。これからも闘う」と三里塚との連帯を表した。
全国農民会議共同代表の小川浩さんは、農民切り捨ての安倍新農政を鋭く批判し、市東さんの農地を守る決戦に勝利する決意を表した。同じく共同代表の鈴木光一郎さんは「今後も三里塚と手を取りながら、学びながら農民会議は闘う」と決意を述べた。
婦人行動隊・宮本麻子さんのカンパアピール後、集会後半の司会を婦人行動隊・木内敦子さんが務めた。市東さんの農地を守る沖縄の会の発言に続き、ふくしま共同診療所の医師・杉井吉彦さんが連帯のあいさつを行った。安倍政権の帰還政策を「福島県民の人体実験」と強く弾劾し、かつて三里塚野戦病院と統一救対のもとで行われた医療活動の精神がふくしま共同診療所に生きていることをアピールした。続いて福島診療所建設委員会の佐藤幸子さんは、今日までの診療所建設の苦闘を振り返り、三里塚との連帯を誓った。
集会は大詰めを迎え、萩原富夫さんが〈集会アピール〉を朗読し、「第3滑走路粉砕、農地死守」の闘いを進め、沖縄・福島との連帯、労農連帯をますます強化拡大することを高らかに宣言した。行動方針として①7・11市東さん耕作権裁判闘争、②9・7最高裁デモ&第3回署名提出行動、③10・9全国総決起集会を確認した。
最後に萩原さんのリードで「三里塚闘争50周年、これからも闘うぞ!」のコールを全員で会場に力一杯響かせ、一日の集会を締めくくった。(TN)
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