2・17 70人が徳島刑務所行動 面談を拒否する所長を弾劾
2月17日午前、徳島刑務所に全国から70人が集まり、面会・差し入れと申し入れ行動が闘いぬかれた。
黄色の星野ゼッケンを着けた全国の救援会を先頭に、星野文昭さんへの差し入れが始まった。わずか数十㍍先に星野さんがいる。刑務所の塀を前に実感がわいてくる。
星野暁子さん、弟の修三さんとゆかりさんが、拍手に送られて面会に入った。その間、3人1組になっての差し入れを続けながら、駐車場では北海道から沖縄まで全国から集まった人びとが感想や報告を述べ合い、団結をいっそう固めた。
そこに怒りの報告が届いた。友人である革共同の鎌田雅志さんと鎌田由子さん、さらには共同代表の戸村裕実さんの差し入れも不許可となったのだ。3人は昨年2月に暁子さんとともに友人面会を申し込み、断られた経緯がある。絶対に許せない。しかしこれは、全国の仲間が繰り返し訪れ、声を上げていることへの徳島刑務所の恐怖の現れだ。
怒りが広がる中、本田庶務課長が「申入書」を受け取りに出てきた。昨年着任した宮本祐康所長が6月に出した「今後は文書を受け取るだけ。面談はしない」との方針を強行したのだ。
戸村さんが申入書を読み上げた。①星野さんを直ちに出せ、②友人面会を認めろ、③手紙の墨塗りをやめろ、④暖房を入れカイロの使用を認めろ、⑤24色の絵の具を使わせろ、⑥アレルギー食を保障しろという6項目を要求した後、戸村さんは満身の怒りで面談を拒否した徳島刑務所の対応を弾劾した。
これに対し本田課長は「抗議集会をやるのなら文書の受け取りもできなくなる」と居直ったが、群馬と千葉の仲間も申入書を突きつけ、差し入れを拒否された鎌田さんも怒りを込めて「星野さんを取り戻すまで何度でも来る」と迫った。
面会を終えて出てきた暁子さんは、「文昭はとても元気でした。インフルエンザで病舎にいたが、今は元の部屋に戻りました。外の様子を聞いて喜び、皆さんに会いたいと言っていました」と伝えた。さらに、星野さんから聞き取った「戦争に反対して立ち上がり、世の中を変えようとしたことに対し、無期懲役がかけられ42年投獄されていることに怒って全国で立ち上がっている。運動を大きく前進させて100万人の署名を集め、全証拠開示・再審解放をかちとろう」というメッセージを伝えた。
修三さんは「早くみんなと手をつないで歩こうと伝えた」と語り、ゆかりさんは「きらきらしていました」と星野さんの様子を伝えた。
午後には徳島市内で全国活動者会議が開かれた。冒頭に奥深山幸男さんに黙禱(もくとう)し、事務局による基調と再審闘争報告の後、天田三紀夫革共同書記長が、2017年に必ず星野文昭同志を奪還すると、革共同の決意を提起した。
これらを受けて熱心な討議が行われ、逮捕から42年、無期懲役刑が確定してから30年となる今年、100万署名を推進し、なんとしても星野さん解放をかちとることを誓い合った。
この行動に先立ち、16日夜には徳島駅前街宣とキャンドル行動が、17日当日には早朝から徳島刑務所、市役所、郵便局、駅前などでビラまき宣伝が行われた。
この記事へのコメントはありません。