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改憲と戦争許さない 国際婦人デー闘争 福岡 被爆者の体験談で核戦争に怒り

 20180308f-1.JPG3月4日、福岡「3・8国際婦人デー」集会・デモを、女性19人を含む30人以上の参加で開催しました。集会成功に向け、実行委員会の活動を活発にし、ここに二つの組合も結集。集会に組合がすわったという実感ができました。
 司会は、北九州合同労組の女性労働者が引き受けてくれました。
はじめに「川崎反戦集会」のビデオを鑑賞。日本軍の軍隊慰安婦に対する残虐さに怒りが湧き、またデモに合流しようとしたハルモニへの警察の暴力にも、慰安婦問題と底通する権力の意図を感じ怒りも倍加しました。
 その思いをつないで、実行委員会から婦民全国協福岡支部の代表が基調提起を行い、トランプの「核戦略の見直し」(NPR)を弾劾し、「働き方改革」を労働者の団結で粉砕し、国際連帯で「始まる前に戦争を止めよう」と提起を行いました。

朝鮮核戦争の超切迫情勢のなか、被爆の状況を知ることは重要です。長崎で被曝されたAさんに語ってもらいました。
 入学前の6歳の時、長崎駅に向かう列車の中で被曝。直撃は免れたものの「ピカッ」と、光ったと同時に窓ガラスがすごい勢いで飛んできた。近くにいた大人の人が覆い被さって助けてくれた。近所に住む人がその汽車に同乗していて、被爆後、その方と一緒に山の上まで母と妹と歩いて行った。市内は真っ赤で火の海だった。途中、全身にやけどをした人たちが線路をゆらゆらと歩いてきた。「水をくれ」「水をくれ」と言うので、消防団の人から「どうせ助からないから」と言われて、ひしゃくに水を汲んで呑ませた。地獄だった。
 私は、自分では見えないが背中に白い丸いアザがある。学校に入学してからも身体が弱く、外で遊べず家の中でごろごろしていた。医者に行くと「栄養失調」と言われた。子どものころは楽しいことが一つもなかった。身体が弱かったのも、貧血がひどいのも原爆のせい。
 今、反戦反核・反原発の運動をする皆さんと出会って、共に活動でき人の役に立つのがうれしく充実している。
 続いて、被曝3世の女性労働者から被爆体験を語り継ぐ責任を果たしていきたいとの決意が語られ、さらに、今年3・11郡山集会に参加する女性から、今の福島の状況が怒りをもって語られ、参加の決意を示されました。
 非正規のパート労働者からは、職場はパワハラによる人員の減少で労働強化が日常化し、それに対して会社との団交を組合でやったことの報告、職場で闘う大切さが強調されました。
 実行委員会からまとめと行動提起を行い、天神デモに出発。デモコールは若い組合員が担ってくれ、「朝鮮戦争絶対反対!」の声を天神に響かせました。天神は若者が満載で、大注目でした。
 集会参加者が自分の人生や取り組みを報告したり職場の闘いなどを語る中で、お互いを認識して団結をつくり、闘いにつないだ充実した集会になりました。(婦民全国協福岡支部

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