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〝国賠に絶対に勝つ〟 星野文昭さん逝去1周年の集い 全国で新たな組織・陣形をつくろう

あいさつする星野暁子さん。参加者が持ち寄った花とともに星野文昭さんの遺影が飾られた(5月30日 東京・台東区)

2019年5月30日、星野文昭さんは14㌢×11㌢の巨大な肝臓がんの切除手術の2日後、73歳の生涯を閉じた。あれから1年、コロナ情勢下、「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」主催で開かれた集いには、角田義一弁護士をはじめ韓国・テグで星野絵画展を主催したイドクチェさん、アメリカ運輸労働者連帯委員会のスティーブ・ゼルツァーさんなど多くのメッセージが寄せられた。
東京都昭島市にある東日本成人矯正医療センターから霊柩車(れいきゅうしゃ)が出てくるシーンから始まる映像が流れる。
家族あいさつでつれあいの星野暁子さんは、「なぜ文昭は死ななければならなかったのか、どのようにして生命を奪われたのか、国家賠償請求訴訟で明らかにしたい。国賠勝利の新しい運動を立ち上げましょう」と訴え、「いつだったか文昭が『自分は礎(いしずえ)になる』と言ったことがある。意味を聞くと『革命をめざして生きて、自分の代でできなければ若い人たちに託すという意味だ』とにこやかに話していた」と語り、「文昭の闘いを引き継いで、『私が星野文昭になる』『みんなで星野文昭になる』を実現しましょう」と呼びかけた。

星野文昭さんをしのび70人が参加

追悼の言葉が12人から語られた。国鉄闘争全国運動呼びかけ人の金元重さんは「星野さんの志を継承し、日韓労働者連帯に何らかの貢献をしたい」と決意を明らかにした。冤罪犠牲者の会の十川(そがわ)正さんは「71年11月14日は高校生でしたが渋谷で見ていた。渋谷は機動隊ばっかり、そこに星野さんたちが入ってきたと聞いてびっくりした」と思い出を語り、「絶対に国賠に勝つ、再審に勝つということを目標にしましょう」と訴えた。
婦人民主クラブ全国協代表の三浦正子さん、全国労組交流センター、大坂正明さん救援会準備会、三里塚現闘、さらに全国の救援会を代表して高井戸と大阪、茨城、福島の取り戻す会が決意を明らかにした。
革共同の代表は、星野さんの命を奪った権力犯罪を暴く国賠闘争に絶対に勝利するとともに、この腐敗した社会を打ち倒す闘いとして新たな星野闘争を共に闘いぬくと誓った。
追悼の言葉の最後に、71年11・10沖縄ゼネストで殺人罪をでっち上げられ無罪を勝ち取るまで5年、その後18年にわたって国賠を闘った松永優さん(埼玉・星野ネットワーク)が、自身の経験から「国賠はめちゃくちゃ難しいが、だからこそ星野さんの国賠で絶対に勝ちたい」と語った。
共同代表の狩野満男さんが、今後の運動の展望を提起した(要旨別掲)。これまでの蓄積を土台に「国賠闘争に集中した新たな組織、新たな陣形で多くの人々を組織し、具体的な闘いを開花させよう」と熱を込めて訴えた。
閉会あいさつで事務局の金山克巳さんが、6月22日の国賠第1回口頭弁論への結集を訴え、「今日から新たな星野闘争に打って出ましょう」と訴えた。6・22国賠闘争に集まろう

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