杉並で3・11へ講演集会 衝撃的な原発被災地の現実暴く
2月19日夕方、東京・杉並区の阿佐谷地域区民センターで、「すべての原発いますぐなくそう!全国会議(NAZEN)東京」と「原発とめろ!新橋アクション」の共催で、「2・19汚染水を海に捨てるな!福島原発事故は終わっていない」集会が開かれ、80人が結集した。
集会は、福島第一原発汚染水の海洋放出を阻止するため3・11福島に総結集しようと開かれた。メインは、帰還困難区域などの写真を撮り続け、全国で写真展と講演を開催して福島原発事故の現実を告発している写真家の飛田晋秀(ひだしんしゅう)さんと「避難・保養・医療」を掲げ2012年に開設されたふくしま共同診療所の医師、杉井吉彦さんの講演だ。
●飛田晋秀さん講演
飛田さんは、衝撃的な被災地の現実を、写真を示しながら次々と語った。そして11年の事故後、12年に初めて帰還困難区域に入った時の話から始めた。「人はいない。いるのは野生化した牛、イノシシ。初めて入ったときは恐ろしかった。家があって人がいない。どういうことなんだ。放射能は臭いも味もしない。ただそこに放射線量計のカウンターの音だけ。最初は恐怖だった。最初はシャッターが切れなかった」
さらに19年にアメリカのテレビスタッフが来た時の写真を示した。そこでは飛田さんを含めテレビスタッフが全員タイベック(白い防護服)を着ているのに、右側に写っている作業員は普通の服装だ。別の写真でも警備員はマスクすらしていない。その警備員は「俺らはマスクなんかしなくてもいいと言われた。俺だけがマスクしたら首ですよ。明日から仕事ができなくなる」と語ったという。労働者に被曝労働を強制している現実が、写真を通して生々しく迫ってきた。
●共同診療所の闘い
続いてふくしま共同診療所の杉井医師が講演した。
杉井さんは、10年前から福島に行って福島県民の健康と命を守る診療を行っていると自己紹介し、ふくしま共同診療所の現実を次のように語った。
「一番放射線を浴びている福島第一の原発作業者が1日に7千人から1万人。さらに除染労働者が1日に4千人。その人たちは年間2回の血液検査などを受診しなければならない。診療所も検査を受け持って守り切っている。話を聞いた労働者が飛び込みでもっとやってほしいと言ってくる。中には保険証を使いたくない、警察官だから保険証を使ったらばれてしまうという人もいた。福島県民のあらゆる階層で、健康に対する気持ち、放射線障害に対する不安が広がっている」
汚染水放出への福島県民の評価について賛成が31%、反対が57%だという数字を示して、「賛成の声が本当に少ない。自分たちのところから外に汚染物質を出してほしいという気持ちは当然あるが、これだけ苦しんでいる核物質を他の県民に分け与えるのは反対だという福島県民の気持ちをくんでほしい」と、福島県民の気持ちに寄り添って全国の労働者人民が決起すべきことを訴えた。
広島での内部被曝を認めさせた「黒い雨」訴訟の勝利の意義を語った上で、1月27日に提訴された「311子ども甲状腺がん裁判」の決定的重要性を訴えた。
「『3・11原発事故はまだ終わっておらず、被害者である私たちが生きていく以上、続いていく問題です。この裁判をきっかけに世の中が少しでもよくなることを願っています』という原告の言葉に涙が出るぐらい、10年間やっていて本当によかったと思います」と涙ぐんで訴え、最後に「甲状腺がん問題を考えることが、10年たった福島県民の健康と命を守る運動にとって非常に重大な契機になる。また10年絶対にがんばろうという気持ちになりました」と感動的に語り、講演を終えた。
NAZEN東京代表の佐藤賢一さんが3・11福島現地での闘いへの総結集と、汚染水海洋投棄反対署名を始めることを訴えて集会を締めくくった。
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