三里塚耕作権裁判・最終弁論―南台農地を守りぬこう
千葉地裁民事第2部(齊藤顕裁判長)で9月30日、市東孝雄さんの耕作権裁判の最終弁論が行われ、18年続いた裁判がこの日で結審した。
開廷に先立ち、千葉市中央公園で三里塚芝山連合空港反対同盟が呼びかける決起集会が開かれた。
太郎良陽一さんが司会を務め、最初に東峰の萩原富夫さんが発言に立った。
「いよいよ最終弁論を迎える。NAA(成田空港会社)は市東孝雄さんを『不法耕作者』と言いなして、土地の明け渡しを迫る訴訟を起こした。それがこの裁判であり、裁判所に不当判決を出すなと迫ろう。ガザへの無差別爆撃、虐殺が続くことに本当に胸が痛む。三里塚はかつて『日本のパレスチナ』とも呼ばれたが、市東さんの農地を守ることがパレスチナ、ガザとつながっている。私たちの小さな農地が、空港の完成を阻んでいる。今『新しい成田空港』構想を打ち出し、旅客や航空貨物の需要増に対応するなどというが、実際には需要は増えていない。日本は中国の台頭に恐れをなし、沖縄・南西諸島、そして日本全土を軍事基地化してアメリカと組んで中国をつぶそうと戦争を構えている。自民党政治のもとで、裁判で闘っても勝てないともいわれるが、無実を訴えてきた袴田巌さんの再審で裁判所が無罪判決を出し、証拠のねつ造を認めた。われわれもこの耕作権裁判に勝利しよう。農地を守り、軍事空港を阻み、戦争反対の闘いの先頭に三里塚は立つ」
さらに動労千葉の中村仁副委員長、関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会の連帯発言を受けて、高らかにシュプレヒコールを上げて市内デモに出発した。
晴天のもと100人に及ぶデモは、昼休み時の千葉市繁華街に「市東さんの農地を守り抜くぞ」の叫びを響かせ、警察の規制をはねのけて力強く進み、千葉地裁に迫り、その勢いで裁判に臨んだ。
60を超す傍聴席を満席にして開廷し、最初に市東さん本人が意見陳述を行った。
「父が亡くなり48歳で天神峰に戻り、空港建設に反対する生き方を受け継いで農民として生きることを決意した。NAAが証拠だとする『同意書』『境界確認書』はウソの書類であり、父が署名捺印するはずがない。書類を偽造して裁判所をだまして、私から南台農地を奪おうとしている。こんな汚いやり方に絶対に屈しない。成田空港は3500メートルの滑走路を新たに2本も持つ空港に拡張されようとしているが、『右肩上がりの航空需要』はまったくの空論であり、周辺を騒音地獄にたたき込み、そして巨大な軍事基地に変貌する危険がある。直ちに拡張計画は中止すべきだ。100年耕し続けた農地は自分の命に等しい。農民を犠牲にする空港建設は間違っている。齊藤顕裁判長は、政府やNAAに忖度(そんたく)せず、農民を大事にして戦争のない社会を築くために、NAAの請求を棄却する判決を出してほしい」
市東さんの覚悟と願いが傍聴者全員の胸を打ち、法廷内は大きな拍手に満たされた。
続いて、反対同盟顧問弁護団が最終意見陳述を行った。18年間の集大成とも言える、これまでの全主張内容を整理し深化させた400ページを超す陳述書が交代で読み上げられた。
市東家は1921年から祖父市太郎さん、父東市さん、孝雄さんと3代100年以上農業を続けてきた。原告NAA(=空港公団)が市東家に無断で秘密裏に行った南台農地底地の旧地主からの買収(88年)は、農地法第3条に違反し無効である。原告は15年間も買収の事実を市東家に隠し続けてきた。空港への転用目的だというが、具体的転用の計画や見通しの立たないもので、農地法第5条は適用できない。
そして明け渡しを求めてきた農地の位置特定が誤っていた。唯一の証拠として出してきた同意書、境界確認書に付された地積測量図に基づいて、原告はE1とBを市東家の元々の賃借地とし、それ以外は不法耕作と決めつけるが、実際にはAとBが市東家の元々の賃借地だ。反対同盟法対部で活動していた元永修二氏が東市さんへの詳細な聞き取りをもとに作成した報告書「元永メモ」が、それを正しく表している。NAAは元永メモを否定するために、それを「同意書、境界確認書に対抗するために、東市と元永が相談して書いた」などと言い出したが、邪推でしかない。
東市さんは71年に石橋政次(同盟副委員長)からの申し出に応じて、A土地をC土地と交換して耕作している。石橋の同盟からの脱落後、東市さんはA土地の耕作も行い、賃借権を時効取得している。
だが石橋家の宅地に隣接するE1は、市東家が一度も耕したことはなく、この場所は石橋家が屋敷林と一体で利用し垣根を植えていた。このことは航空写真からも明らかだ。
同意書、境界確認書の市東東市さんの署名・捺印は偽造されたものだ。筆跡鑑定からもそれは明白だ。
東市さんは1984年に母屋を新築し、「代執行来るなら来い」と、病気の妻とともに天神峰で農業と闘いを続ける決意を表していた。成田用水決戦では実力闘争の先頭に立ち、血まみれで逮捕された。その東市さんが、土地買収につながる書面、自分の認識と異なる図面に同意して署名・捺印することなどありえない。
同意書・境界確認書が偽造ではないとNAAが主張するのなら、いつどこで、どのような状況で書面が作られたのか、それに関連する報告書、交渉記録などを明らかにすべきだが、「作られていない」「存在しない」と原告は言い張るだけ。東京高裁もそうした報告書について「担当者が作成しなかったとは考え難い」としてNAAに文書提出命令を出したが、それにも従わず隠し続けているのだ。こんな同意書・確認書に証拠価値はない。
また、C、D土地は1970年代初めから市東さんが耕してきたことで、賃借権の時効取得が成立している。
東市さんが存命だったら、原告のこうした虚偽とでたらめの主張の数々を一切許さなかっただろう。
そしてこの18年に及ぶ裁判の途中で、われわれは闘いの中心的な人格を失ってきた。萩原進反対同盟事務局次長(2013年逝去)、北原鉱治事務局長(17年逝去)、葉山岳夫顧問弁護団事務局長(23年逝去)。犠牲になった方々の志半ばの無念の思いを、齊藤裁判長に伝えなくてはならない。空港建設・拡張のために市東さんの農地を奪うことは許されない。裁判長は誰にも忖度せず、NAAの請求を却下する判決を勇気をもって書くべきである!
NAA側はこの日、陳述を放棄しておきながら、代理人・上野至は、弁護団の超重量級の意見陳述を突きつけられて、「読んでみた上で何かあれば反論を提出するかもしれない」などと裁判長に向けてつぶやいた。法廷でだんまりを続けてきた当人がこの期に及んでそんな身勝手を述べることに、傍聴席からの怒りが集中した。
裁判長は弁論の終結を宣言し、「判決期日は追って指定する」として閉廷した。
地裁向かいの千葉県教育会館で、伊藤信晴さんの司会で報告集会が開かれた。最初に市東さんがあいさつに立った。「2006年から18年も被告席に立たされた空しさも感じています。判決に期待はしていません。どんな判決だろうと今までと変わらず闘っていきます」
続いて弁護団一人ひとりが、最終弁論を圧倒的内容で貫徹した勝利感を湛えつつ発言した。無論、判決について楽観的予想はできない。最悪の場合、仮執行宣言が付けられることもありうる。再び直接の国家暴力に対する実力闘争の決戦を迎える。しかし、18年の重みを持つ市東さん側の正義の主張をことごとく覆して反動判決にもっていくことも、権力側にとって容易ではないだろう。「闘いはこれからだ」の気概で全員が一致した。
会場から、成田の騒音被害と闘う住民、群馬合同労組、全国農民会議共同代表の小川浩さん、全学連の4人が、連帯発言を行った。
全学連の学生は、昨年の2・15天神峰強制執行との激闘が全学連の新たな仲間を増やし、8・6広島ドーム前の闘いに結実したことを報告した。「この裁判が始まった18年前は自分は2歳だった」として、反対同盟58年の歴史に敬意を表し、反動判決が下されるなら体を張った実力闘争で南台農地を守り抜く決意を熱く表した。
最後に伊藤さんが、今後も千葉地裁を徹底的に攻める宣伝戦に立つ決意を述べ、10・13全国総決起集会への大結集を呼びかけた。(TN)
スケジュール
◎10・13三里塚全国総決起集会 10月13日(日)正午 成田市赤坂公園 主催/三里塚芝山連合空港反対同盟
この記事へのコメントはありません。