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星野国賠訴訟で一審勝利判決(東京地裁)/獄死させた国の責任を認めさせる

判決前に正午から闘われた法務省弾劾デモ。星野同志の妻・暁子さんが先頭に立った(3月24日)

1971年11・14沖縄返還協定批准阻止渋谷闘争を闘い、「殺人罪」をでっち上げられ、無期懲役で服役中に獄死させられた星野文昭同志の国家賠償請求訴訟の判決が3月24日、東京地裁であった。民事第14部の村主隆行裁判長は、被告・国が適切な治療を怠ったことを認め、原告の星野暁子さんと兄弟2人に計約2200万円の損害賠償を命ずる判決を言い渡した。星野同志に肝臓がんの疑いがあることを知りながらそれを隠蔽(いんぺい)した徳島刑務所と手術した後適切な術後ケアを怠った東日本成人矯正医療センターによって星野同志の命が奪われたことを、裁判所が認めたのだ。5年間にわたる国家賠償請求訴訟の闘いは、原告と原告代理人の弁護団、闘う支援の闘いで、勝利を積み重ねてきたが、それが判決として確定した。画期的な勝利判決だ。
70年安保・沖縄闘争以来闘いの先頭に立ってきたかけがえのない戦士である星野同志が、当然なすべき治療を受けていれば、命を失わずに済んだのだ。国家権力によって殺されたことに改めて怒りが込み上げる。
●東日本成人矯正医療センターの重大な「義務違反」を認定
判決は、まず第一に星野同志の手術をした医療センターの責任を明らかにした。2019年5月28日に肝臓がん切除手術が行われ、その後同センター医療部長は、暁子さんに対して「手術は無事終了しました」と語った。ところが手術終了から2時間後の午後6時50分に、それまで120台を維持していた血圧が64に下がった。尿も出なくなり、「白い馬が何頭も見える」というせん妄を疑わせる発話もあった。医師は術後出血を疑い、検査をするなどの対応をする義務があった。
意見書を提出し法廷でも証言した肝臓外科専門医は「重大な事態が起きるのは手術当日が一番多い」と述べた。ところが「スキルが高い」として外部から招かれた執刀医は手術終了直後に帰ってしまい、緊急時に呼び戻すオンコール体制も無かった。その上手術の助手を務めた外科医も午後8時過ぎに帰ってしまった。星野同志が生死の境をさまよっている時に医療センターに残っていたのは当直の麻酔科医一人だった。そのことを問われた専門医は「私なら帰りません」と憤然と答えた。それらをすべて怠ったために、星野同志は30日に絶命した。これは国家による殺人だ。
判決は「医療センター医師には止血措置等実施義務違反があった」「上記注意義務を尽くしていれば、30日時点で生存していた高度の蓋然(がいぜん)性があると認められる」と明確に断じている。

判決後の報告集会。全員で勝利を喜び、弁護団と暁子さんに大きな拍手が送られた(弁護士会館)

徳島刑務所長の責任について。更生保護委に対する「情報隠蔽」の違法性を断罪
第二に、徳島刑務所長の責任についても踏み込んで判断を下している。
星野同志は、前年の18年8月に激しい腹痛で倒れた。しかし刑務所の医師は「胃けいれん」などという病名をつけて1日病舎で休ませただけで刑務作業に復帰させた。その後も食欲不振と体重減少が続き、心配した家族や弁護団が繰り返し要求したのに徳島刑務所は精密検査を行わなかった。
翌19年3月1日にようやく行ったエコー検査で肝臓に腫瘤(しゅりゅう)が見つかり、医師はカルテに「CT必須」と記入した。この医師は星野同志に関することは即日所長に報告したと証言している。3月6日の「刑務官会議(幹部会議)」で所長は「背景が複雑な人だから慎重に対処するように」と指示した。役人用語で「何もするな」と命じたのだ。このため仮釈放審理を行っていた四国地方更生保護委員会に病状を通知しなかった。
受刑30年を迎えた者は義務的に仮釈放審理を開始するという法務省通達に基づき、星野同志の仮釈放審理が始まっていた。「社会内処遇規則」第7条は、心身の状況に変化があった時は更生保護委員会に通知するよう刑務所長に求めている。しかし所長は通知しなかった。星野同志本人にも家族や弁護団にも伝えなかった。裁判所はその違法性を認めて賠償金支払いを命じたのだ。
この2年前から星野同志の仮釈放要求の闘いが全国的に巻き起こり、更生保護委員会がその審理をしている最中だった。高松市で二度の大集会か開かれ、「星野さんをただちに解放しろ」という運動が続いていた。所長はこれに対処するために徳島刑務所に送り込まれたと言っても過言ではない。重要な情報を隠蔽し、3月25日に更生保護委が「仮釈放は認めない」と判断したことを見届けてから、星野同志の医療センターへの移送の手続きを始めたのだ。

判決後の報告集会で発言する星野暁子さん。「うれしい。最後まで闘う」

このことについて判決は、星野同志の「仮釈放審理が適正に行われることへの期待権が侵害された」と認定した。これは不十分ながら、徳島刑務所長の違法性が断罪されたものとして決定的な意味を持っている。
しかしながら判決は、徳島刑務所が星野同志に対して十分な検査も治療もしなかった責任は認めなかった。18年秋に精密検査を行っていれば、およそ半分の体積で肝臓がんを発見することができたのだ。もっと安全に手術を行うことが可能になり、星野同志は今もわれわれと共に闘っていたと言える。

●怒りの法務省弾劾デモー地裁前街宣ー傍聴闘争を戦闘的に闘い、判決を勝ち取る
この日、星野全国再審連絡会議を始めとする支援の仲間が正午過ぎから法務省弾劾の包囲デモを闘い、午後1時からの東京地裁前街宣を闘った。傍聴席の倍の約百人が抽選に並んだ。原告席には星野暁子さんと星野同志の兄の治男さんが座った。裁判長から主文が読み上げられると、明確な勝利判決に拍手が起こった。国賠闘争の勝利を星野同志に届けられることに喜びの声が上がった。
裁判後の記者会見と報告集会には傍聴できなかった人も含めて80人集まって、喜び合った。原告代理人の岩井信、土田元哉、藤田城治、和久田修の各弁護士が判決の意義について報告・解説した。暁子さんは「文昭の死の責任を取らせる判決だった。国の責任を認めて、止血をしていれば文昭は今ここにいることができたという判決。四国地方更生保護委員会に対する通知義務違反も認めた。本当にうれしい。控訴するかどうか検討して、最後まで闘いたい」と決意を述べた。

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