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石川さんの遺志継ぎ5・23闘争 東京 狭山第4次再審勝利へ

 

石川一雄さんの遺影を掲げ、雨をつき渋谷の繁華街をデモ。狭山差別裁判に怒りをたぎらせ第4次再審闘争勝利を訴えた(5月24日 東京都渋谷区)

今年3月に逝去された石川一雄さんの遺志を引き継ぎ、不当逮捕62カ年糾弾、狭山第4次再審闘争の勝利に向けて、5・23狭山闘争が全国各地で闘われた。
東京では5月24日、集会とデモが、雨をついて渋谷でかちとられた。

解放共闘会議の徳永事務局長が石川さんの獄中アピールを引用し闘いの復権を呼びかけた

集会は冒頭、解放歌を合唱し、全国水平同盟の田中れい子杉並支部長が開会あいさつを行った。田中さんは「狭山事件・狭山裁判とは、1963年の最初から今日まで国家権力による部落差別に貫かれた事件・裁判であり、狭山闘争とはこのすさまじい部落差別攻撃に対する徹底糾弾の闘いである」と強く弾劾した。「当時120人もの部落青年に対する見込み捜査の上に、石川一雄さんは逮捕にも当たらないような別件で5月23日に不当逮捕され、一審浦和地裁で死刑判決を受けた後、二審冒頭で『俺はやっていない』と叫んでたった一人で決起した。それ以降、獄中で字を覚え、帝国主義国家権力に捕らわれながらも不屈に闘いぬいた。石川さんが残した短歌には『次の世も 生まれし我は此のムラに 兄弟姉妹と差別根絶』とある。死を前にしても最後まで闘い続けた石川さん、差別糾弾・全人民解放を貫く生を全うした石川さんに絶対に応えて闘おう」と訴えた。
部落解放東日本共闘会議の田中康宏議長があいさつに立ち、戦争切迫は、在日の人民を「敵性外国人」として弾圧し、差別と闘う人々の圧殺を狙うものであるとして、狭山闘争の重大性を提起した。
解放共闘会議の徳永健生事務局長が基調報告を行った。
まず、労組交流センターの運動内で起きた女性差別・性暴力を徹底糾弾し、女性解放を闘うことなくして狭山差別裁判糾弾闘争を闘うことはできないと断じた。さらに、狭山第4次再審闘争勝利へ、部落差別への怒りを燃やし、1974年9月の日比谷11万人決起へ上りつめる闘いの根底にあった石川さんの「狭山闘争を日帝の部落差別政策との対決、一大結節環的闘いとして、一時もむだにせず歴史的勝利に向かって闘いぬく」という鮮烈な獄中アピールを引用して、この闘いを今こそ復権させようと呼びかけた。そして、「既成解放運動が狭山闘争において『再審法改正』運動に矛先を移し、挙国一致体制・戦争体制に屈して解体されることを許してよいのか。大衆的実力闘争を復権させよう。自衛隊の侵略軍隊化、天皇制攻撃と対決し、6・14東京・芝公園の全国反戦闘争へ総決起しよう」と力強く訴えた。
動労千葉、動労総連合水戸、長野の青年、埼玉労組交流センター、東京労組交流センター、全学連が次々と決意を表明した。トランプ・石破への怒りは地に満ちている。戦争攻撃は民族差別、部落差別、女性差別を始め社会的差別を激増させている。一昨年のパレスチナ10・7蜂起以来の全世界の決起は根底的である。石川さんの遺志を引き継ぎ、自らの闘いを通してそれを貫いていこう、という発言が続いた。
集会後、強まる雨をものともせず、渋谷の街のど真ん中を行進する戦闘的なデモンストレーションに出発した。10代、20代の若者を始め沿道の圧倒的な注目と熱烈な賛同が寄せられる中、デモは堂々と進んだ。「差別をあおって戦争するな」と訴え、怒りと扇動で結びつこうと声を張り上げるデモ隊に、民衆は真剣に力強く応えた。

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