NAZENフクシマ結成集会、350人の結集でかちとられる!
10月10日、福島で「すべての原発いますぐなくそう!全国会議・フクシマ」が結成された。3・11大震災と福島第一原発大事故の爆発から7カ月。ついに福島の地に、全原発の再稼働を止め、すべての原発をなくすまでやむことのない闘いの核が打ち立てられたのだ。
「すべての原発いますぐなくそう!全国会議(=な全)・フクシマ」結成集会は10月10日午後、福島市のコラッセ福島多目的ホールで開催された。地元福島をはじめ全国各地から集まった人は実に350人。元日放労長崎分会委員長の鈴木達夫弁護士の開会あいさつに続き、福島から、な全呼びかけ人で「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の椎名千恵子さんと、国労郡山工場支部書記長の橋本光一さんが訴えた。
遠く広島の地から駆けつけた高陽第一診療所医師の吉田良順さんが「ヒロシマの被曝医療にたずさわって思うこと」と題して講演を行った。1972年にヒロシマに被爆者医療の拠点として高陽第一診療所をつくった経緯とその目的、ヒロシマの原爆被害の実態を報告し、さらに「フクシマへの提言」として「ヒロシマの教訓は、闘わなければ政府は動かないということ」と述べ、定期的健康診断の実施とその費用の全額公費負担、被曝手帳の交付などを闘ってかちとっていくことの重要性を提起した。さらに「拠り所となる医療機関が絶対必要。そのためにヒロシマからも最大限の力を尽くす」と述べ、「かつて被爆詩人・峠三吉が『にんげんをかえせ』と訴えたように、ヒロシマ、フクシマからともに『すべてを返せ』を共通の言葉に闘いぬきましょう」と力強く訴えた。
続いて、長崎から参加した被爆者・城臺(じょうだい)美弥子さんが「福島と連帯したい、福島につながりたいという思いで参加しました。被爆者自身が『原子力の平和利用』論を信じ込まされてきてしまったことが、今日の現実をつくり出した。広島・長崎・福島がつながって、核も原爆もない社会をつくりましょう」と呼びかけた。
子ども福島の佐藤幸子さんは、子どもたちを放射能から守り抜くために必死で闘いぬいてきた7カ月の歩みとともに、9月18日から25日まで訪米し、国連総会で原発政策推進を公言した野田首相を会場前で直撃して「福島の子どもたちを守れないで原発の安全を世界中に言うのはひきょうだ」と訴えたことを報告。そして「福島への原爆は、日本政府の手によって落とされた。広島・長崎・福島に続く4度目の原爆は絶対に落とさせてはならない。そのためにすべての人とつながって闘いましょう」と訴えた。
松元ヒロさんは「原発への怒りの束を風刺にかえて」と題したコント。「地震や津波はなくならなくても、核や戦争はなくすことができるんです。だって、やっているのは人間だもの」と結んだ。
集会の後半は、動労千葉の田中康宏委員長、8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会の三角忠さん、山本志都弁護士、医師や福島の農民の発言が続いた。常磐線久ノ浜―広野駅間の運転再開と放射能汚染車両の職場への搬入に対してストライキで立ち向かっている動労水戸の辻川慎一副委員長の訴えに、とりわけ大きな拍手が寄せられた。
ふくしま合同労組の市川潤子委員長、福島大学と東北大学の学生の発言が続き、最後に福島労組交流センターの渡辺馨代表が「すべての原発いますぐなくそう!全国会議・フクシマ」結成宣言を提案。「『福島を返せ!』『東電と国は全部補償しろ!』 フクシマの怒りは、全国の怒りです。全国の力で、原発を今すぐとめましょう! 原発再稼働の野田政権を打倒しよう! NAZENフクシマとともにたたかおう!」という提起に、参加者一同が力強い拍手と声援で応えた。
福島の地に、労働者・労働組合がどっしりと中心に座って、農民、漁民、子どもを持つ親、すべての住民の怒りを一つに束ねて闘う運動体が打ち立てられた意義はとてつもなく大きい。この大きな勝利をさらに押し広げよう。反原発・反失業の闘いを全国の職場・地域で大きく広げ、11・6全国労働者総決起集会に駆けつけよう!(S)
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