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坂井留吉さんを偲ぶ会、「原発と核燃サイクルなくす」

s20111214l-1.jpg 12月11日、「坂井留吉さんを偲ぶ会」が青森市で開催された。主催は「偲ぶ会」実行委員会。坂井さんとともに長年核燃サイクル反対闘争を闘ってきた闘士が呼びかけ、全国から60名が結集した。当日は、3・11情勢のなかで逝去された坂井さんの無念を思うと同時に、参加した全員が彼の念願を受けついで「無核の時代」実現へ闘うことを誓った。 

 反核燃闘争初期の記録映像が上映された後、実行委員会からは今村修元衆院議員、浅石紘爾弁護士・核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団代表が発言をした。二人は坂井さんの思い出を交えながら歴史を振り返り、今後の闘いについて提起。今村氏は「むつ小川原開発」以来の六ヶ所住民と労組の闘いを振り返り、特に開発の破たんを核燃サイクル基地導入で尻ぬぐいした歴代の県知事・県行政を批判。89~90年頂点に達した高揚局面以来後退する県内の闘いを3・11を受けて再び高揚させ坂井さんへ恩を返すと決意表明した。浅石弁護士は、88年訴訟原告団結成時、漁業者代表として坂井さんに加わってもらった経過を紹介。泊沖海戦での坂井さんの逮捕に触れ、当時東京での学生逮捕は珍しくなかったが、最北端の地で漁民が9人も逮捕されて、地域がそれを支えてきたことは素晴らしい闘いだったと総括。当人たちは意気軒昂と、むしろ逮捕を誇りに思っていた様子を紹介。「泊沖海戦は、環境アセスメントの海域調査を阻止する闘いで、建設初期にその後を左右する天王山だった。同じ生産者としてその後の農業者の決起を促し、俺たちも放射能から消費者の食べ物を守らなきゃという気持ちを奮い立たせた」と坂井さんの闘いの意義を明らかにした。
 各地からは8名が発言。各発言者が20~30代に坂井さんに出会って大変世話になり、それが核燃闘争に人生をかける原点になったことを語った。いかに彼が「無数の坂井留吉さん」を生み出し闘いの発展をつくりだしたか、坂井さんの存在の大きさが改めて明らかになった。そして、各自が率直に福島原発事故と自らの闘いを捉え返し決意を表明した。「若者との世代間ギャップに悩み最近は提言型運動をやっているが、権力の本質は映像に示されたもの。それが福島原発事故をもたらした。闘いは甘くないが可能性は大いにあり引導を渡す」「先輩たちの闘いに負けない闘いをやる」「函館と青森一緒にやっていく」
 東京から、都政を革新する会の長谷川英憲さん、8・6広島-8・9長崎反戦反核実の三角忠さんら5人が駆けつけ、長谷川さんが代表して発言。89年東京都議選での坂井さんの熱い応援演説が当選の力になったと紹介。坂井さんの意志を受けつぎわれわれ99%が勝利する道は、9・19が示すように労働組合を中心にして多くの人々が手を携えて闘うことだとすべての発言をふまえて展望を提起。坂井さんから一回り若い自分が頑張るのはこれからだと熱く決意を表明した。
 ご遺族を代表して宇美洋三さんが、坂井さんのご子息・進さんからのメッセージを代読。偲ぶ会開催のお礼と漁民として闘いを継ぐ決意が伝えられた。最後に、福島からかけつけた百万人署名運動・福島県推進委員会の長澤宏さんの音頭で団結頑張ろうを行い、原発と核燃サイクルをなくすために闘うことを全員で決意し会を終了した。
s20111214l-2.jpg 翌日、8・6広島-8・9長崎反戦反核実、都政を革新する会、百万人署名運動・青森県連絡会の3団体は、決意も新たに東北電力と東京電力の青森支店へ東通原発の再稼働及び停止中の原発工事再開を中止せよ!と申し入れを行った。
 二日間の闘いは、労働者階級人民が世代を超えて結合し、歴史的蓄積の力を真に発揮して闘えば勝てることを示した。そのけん引役は新自由主義攻撃に闘って勝ち抜いているわれわれの双肩にかかる。坂井さんの思いを胸にいざ再稼動阻止決戦へともに闘おう。(青森・S)
 

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