NAZEN青森先頭に、六ヶ所村内デモに立つ
NAZEN青森を結成した翌日の4月8日、NAZENの仲間は決意も新たに六ヶ所現地に出発。マイクロバスを満杯に総勢40人の部隊で現地に向かった。午前10時から六ヶ所再処理工場門前で抗議集会。10時半から全体集会(写真)に合流し、「再処理とめろ!」と怒りのシュプレヒコールを何度も何度も工場に向かって叩きつけた。
門前闘争の高揚をそのままに、NAZENの隊列は六ヶ所村内デモに打って出た。デモ参加者それぞれが六ヶ所村でデモに出ることの激しさ、緊張感、決意をかみしめながら、声を張り上げてデモをした。家の中から手を振るお婆さん。一方で、車の窓からつばを吐き捨てる青年。反応は真っ二つだ。
2012年に入って、六ヶ所村及び下北半島では、核燃サイクル政策が揺らぐ中、県や村、関連企業が激しく核燃サイクルを維持せよと国に迫り、3・11以降止まっていた各施設の工事を再開している。一方で3・11には県内でも1800人の反原発・反核燃集会が開催された。激しいせめぎ合いの渦中にあるのだ。この局面にNAZENは、「六ヶ所漁民、農民、労働者とともに生き死にをともにするぞ!」「フクシマとともにすべての核をなくし生きよう!」とデモをした。本当にかけがえのない、歴史的出発点をNAZENとして切り開いた。
NAZENの部隊は車をさらに北へ走らせた。六ヶ所から車で30分。東北電力東通原発申し入れに向かった。門は固く閉ざされ警備会社の職員が対応。今日は東北電力の対応する職員がいないので代行して受け取ると言う。しかし、「あなたは警備会社でしょ。電力会社が受け取るべき」「事前の電話の話では当直がいるはずだ」の追及に押され、東北電力の職員が原発建屋から車で門まで出て来て、NAZEN織田陽介事務局長からの申入書を受け取った。私たちは「再稼動を絶対に許さないぞ!」とシュプレヒコールを上げ、ゲート前で総括を行い、NAZENはすべてを引き受けて飛躍して闘っていくことを確認して2日間の闘いを終えた。
2012年「4・9反核燃の日」闘争とNAZEN青森結成の闘いは決定的な地平を切り開いた。フクシマととことん結びついて闘うNAZENが青森の地に、4・9闘争と一体で立ち上がった。反核燃を闘い抜き市民運動を担ってきた仲間も、労働組合、職場で格闘する仲間も総決起して組織化と結集を闘った。一人の青年、一人の学生の獲得を実現しようと闘った。NAZEN事務局長、事務局次長が弘前大学にもかけつけ、そこで出会った青年が2日間の全行程を闘い抜いた。大勝利だ!野田政権の再稼動を絶対に許さず闘いを前進させよう。(青森・S)
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