1. HOME
  2. ブログ
  3. 3・1ビキニデー集会 3・11福島行動への参加を訴え

3・1ビキニデー集会 3・11福島行動への参加を訴え

20130307b-1.jpg 3月1日、東京・セシオン杉並大ホールで「ビキニ水爆実験・被ばくから59年-原発いらない杉並集会」がNAZEN杉並を始めとする実行委の主催で行われた。
 警視庁公安が異様で違法な監視態勢を敷いたが、闘う弁護士がこれを逆監視するなか、開会のかなり前から続々と参加者がつめかける。労働者の生活や命を見捨てて何が国家の安全だ! 警察怖くて原発なくせるか! 集会参加者は440人。公安警察も真っ青だ。この日午前、外注化への怒りのストに立った動労千葉も結集した。
  集会は、DVD「原発はこうして導入された」の上映に続き、集会実行委の三角忠さんが「福島原発事故の2周年を前に、ビキニデーの闘いを考えよう」と主催者あいさつを行った。続いて、俳優の山本太郎さんが元第五福竜丸乗組員・大石又七さんにインタビューした様子がDVDで上映された。大石さんは、静かな口調の中に被爆の悲しみ、日米政府によるビキニ事件の隠蔽(いんぺい)と乗組員の切り捨てへの怒り、孤立の中で放射能への恐怖や差別と闘い続けた生きざまを淡々と語った。 

  山本太郎さんは「3・1は3・11や広島・長崎と同じ、核・原発について考える日にしなければ。来年の3・1には参加します」と参加者に熱いメッセージを寄せ、これに会場が沸いた。
 集会のメインは、井上利男さん(「ふくしま集団疎開裁判」の会)の講演「福島県郡山市からの報告~原発被災地をおおう『国際原子力マフィア』の影~」だ。井上さんは映像を使いながら、「原発事故はなかった。放射能は安全」とこの期に及んでも原子力政策にのめり込む原子力マフィア(文科省・ICRP〔国際放射線防護委員会〕・政府・裁判所・福島県立医大・IAEA〔国際原子力機関〕など)を断罪した。ビキニと福島が重なった。そして井上さんは「生き抜くためにあきらめずに闘おう! 3・11を風化させるな!」と3・11福島行動への参加を訴えた。
 昨年末に開院したふくしま共同診療所の医師が「福島県民がチェルノブイリ基準の避難権利区域(年間1㍉シーベルト以上の被曝線量)に住んでいる。避難・保養も含めて相談できる診療所にしたい」と、診療所建設への協力を訴えた。診療所への熱烈なカンパアピールの後、NAZENの織田陽介事務局長が「3・11福島現地行動へ職場・地域から駆けつけよう。東京・首都圏の運動をより大きくつくろう」とまとめた。杉並での画期をなすビキニデー集会となった。
 1954年3月1日のアメリカの水爆実験による第五福竜丸乗組員の被爆を契機に東京・杉並から始まった原水爆禁止の署名運動は、原水禁運動へ発展した。3・1は、8・6や8・9を闘いの日にする出発点となった。しかし、アメリカからの見舞金20万㌦(1200万円)支払い、原子力技術と原子炉の供与、これへの体制内勢力の屈服のもとで、ビキニ事件と、当時太平洋で操業していた900隻の漁船・乗組員の被爆は隠蔽されてきた。原発導入は内部被曝を無視抹殺し、原水禁運動を腐らせ55基の原発建設と福島第一原発の事故に至った。
 ビキニと福島はつながっている。2年目の3・11を前に3・1を大きく呼び覚まし、大石さんの闘い、福島の怒りとつながり、労働組合をよみがえらせれば、反原発闘争の根絶を狙う安倍をぶっ飛ばせるのだ。
 集会に向けて中小の学習会、デモを行い、集会前の2週間は宣伝カーが区内を駆けめぐった。街頭宣伝に参加した仲間は「今までで一番たくさんビラを受け取ってもらった」、初参加者は公安の監視に対して「あれ、警察だったんですか。それだけ力ある運動だと見られてるんですね」と感想を寄せた。
 原発と放射能に怒り、雇い止めや長時間労働の中で必死に闘いと団結を求めている膨大な青年たちとさらに深く結びつく大きな出発点となった。(東京西部・飯野依子) 

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事

アーカイブ

月を選択