民主労総が三里塚を訪れ反対同盟と熱い交流
韓国の労働者が、今年の秋も三里塚にやってきた。民主労総ソウル地域本部、投機資本監視センター、全解闘の総勢29人は、11月1日午後に成田空港に到着し、出迎えた田中康宏委員長はじめ動労千葉とともに早速三里塚現地を訪れた。
天神峰の市東孝雄さん宅の作業場前に集合し、現地闘争本部の同志の説明を受けながら現地調査を開始した。封鎖された団結街道前のやぐらに交代で上り、滑走路と誘導路によって囲まれた市東さん宅の周囲の状況を確認。さらに市東さんの南台の畑、東峰開拓組合道路、東峰神社、横堀などを訪れ、未完成の欠陥空港としての成田の現実とそれを強制している反対同盟の闘いをつぶさに見て回った。
夕方に三里塚現地の宿泊施設に移動した。闘争の歴史を記録したビデオ「三里塚・大地の乱」が上映され、激しい実力闘争の連続に全員の目が釘付けになった。そして現闘が用意した心づくしの料理が出され、一行の旅の疲れを癒した。
午後7時から三里塚反対同盟との交流会が始まった。伊藤信晴さんの音頭で乾杯し、北原鉱治事務局長が感激の面もちであいさつに立った。
「三里塚と韓国のみなさんとの交流もすでに8年。私は91歳になるが、今から70年前、私の青春時代は戦争のただ中だった。この時代に、みなさんの国に対して日本が過ちを犯したことをお詫びしたい。みなさんとこうしてお会いできることがすごくうれしい。この8年間の交流は大きな希望です。労働者と農民が固く手を握り合えば、世界の平和が築けます」と心からの歓迎の意を表した。
次に、動労千葉を代表して田中康宏委員長があいさつした。70~80年代のジェット燃料貨車輸送阻止闘争を振り返り、「三里塚との連帯を通して動労千葉は闘う組合に生まれ変わった。農民と労働者の共同の利益のために闘うことが組合員の誇りになった。日本は今、改憲・戦争を進め、国家主義を振りかざし危険な道を歩もうとしている。労働組合が弱くなったことがそれを許している。民主労総の闘いに学んで、日本の労働者は団結を取り戻す」と述べた。
続いて市東孝雄さんがあいさつを行った。韓国語で自己紹介し、「農民の私にとって農地は命。それを奪うことは絶対に許せない。動労千葉をはじめ多くの労働組合、市民運動、全国の農民に支えられています。みなさんにお会いできてうれしい。ともに団結して闘います」と不動の決意を表した。
日本側の歓迎の辞に応え、民主労総ソウル本部のイジェウン本部長があいさつした。「今日も三里塚のいろいろな現場を見た。ジェット闘争の話を伺って、このような“政治闘争”は、執行部が組合員と深い討論を行うことによってしかできないと感じた。パククネ政権のもとで、40年前の暗黒政治に逆戻りすることが懸念される。動労千葉と長く交流し、ソウル本部にはその影響が深く及んでいる。4泊5日、日本で学んだことを持ち帰って闘いたい」
ソウル本部と反対同盟が記念品を贈り合い、双方の笑顔が弾けた。
さらに萩原富夫さん、宮本麻子さん、ソウル本部のパクヨンチャン副本部長が連帯のあいさつを行った。
北原事務局長が再びマイクを握り、「ここに集まった日本と韓国の労働者・農民は、国家が行う戦争に対し協力しないことを誓い合おう。労農連帯をさらに深めてともに闘うことを宣言しよう」と提案し、一同は大きな拍手で確認した。
さらに、この日の催しの成功のために会場準備や料理づくりで奮闘した現闘と全学連現地行動隊の同志たちが紹介された。
最後に全員でインターナショナルを斉唱。寒気を吹き飛ばして日韓労農連帯の熱い息吹を感じ合った。
韓国の同志たちとともに、11・3全国労働者総決起集会の成功をかちとるため最後まで奮闘しよう。職場で街頭で仲間を誘い、日比谷野音に駆けつけよう。(TN)
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