国労組合員資格訴訟 濱中証言に法廷の怒り
国労組合員資格確認訴訟の第10回口頭弁論が12月4日、東京地裁民事第11部(団藤丈士裁判長)で開かれ、前国労本部書記長の濱中保彦証人への尋問が行われた。
訴訟が決戦段階に入る中で、「共に闘う国労の会」の国労組合員や支援の労働者は、国労本部打倒の決意に燃えて裁判に臨んだ。傍聴席はほぼ埋まり、濱中証人を防衛するため開廷間際に姿を現した国労本部執行部は、残り少ない空席に身を縮ませて体を入れた。
濱中証人は2010年4・9政治和解当時、国労本部書記長として解雇撤回闘争圧殺の先頭に立った。同年7月の大会で闘争団員を選挙権も被選挙権もない「特別組合員」にし、翌11年7月の大会で特別組合員の資格さえ剥奪(はくだつ)して、闘争団員を国労外に追放した張本人だ。
被告・国労本部側の尋問に続く原告側尋問で、代理人弁護士は証人に鋭く切り込んだ。
本部側はこの訴訟で、「企業に在籍することが組合員資格の前提」としつつ、建前としては「解雇が不当と国労が判断し、雇用関係の存否を争っている場合は、例外的に組合員資格を認める」と主張してきた。闘争団員からの組合員資格剥奪は、この被告の主張とも矛盾する。原告代理人は「国鉄分割・民営化による解雇は不当と認めるのか」と問いただした。証人は「政治和解が成立する前まではそう」と答えた。「和解後は解雇は不当と認識しないのか」と詰め寄る原告側に、濱中証人は「そうです」と答えた。4・9政治和解で、本部は「解雇は正当」という立場に転じたというのだ。法廷には驚きと怒りが走った。
4人の原告は和解を拒否し、解雇撤回闘争を続けている。これは被告が言う「雇用関係の存否を争っている場合」に該当する。「その原告から組合員資格を奪うことができるのか」という質問に、濱中証人は「国労が機関として争うと決めた場合にのみ、組合員資格は継続される」と返答した。原告からの組合員資格剥奪は、本部方針に従わず和解を拒否したことに対する実質的な除名処分だったことを自認する重大な証言だ。
原告自身が尋問に立った。小玉忠憲さんは、組合員資格を奪っておきながら、本部は何の通知も寄越さなかったと暴露した。これに対して証人は「一般の退職者の場合と同じ。退職者も組合員資格を失うが、いちいち通知はしない」と言ってのけた。解雇者も退職者も同じというのは、解雇撤回闘争の圧殺者でなければできない証言だ。
小玉原告が国労本部と警察との協力関係について問いただそうとすると、国労弁護団の宮里邦雄弁護士が「関連性がない」といきり立った。裁判長も尋問を妨げようとしたが、これを打ち破って小玉さんが尋問した。
闘争団員から特別組合員としての資格さえ奪った11年7月の大会は静岡県伊東市のホテルで開かれたが、この大会以降、静岡県警と国労の警備が一体となり、組合員をホテル敷地に一歩も入れない体制をとるようになった。「警察に出動を要請したのか」と聞かれ、証人は否定したが、それはまったく信用できない。
4党合意の承認を強行した01年1月27日の国労大会に際して、大会警備の責任者だった当時の酒田充東京地本委員長が警察に大量の機動隊の出動を求めたことや、02年5月27日の臨時大会に際し、本部方針に抗議する組合員を酒田委員長が警察に売り渡したことは、5・27臨大闘争弾圧裁判の中で明らかにされ確定している事実だ。その当時、東京地本副委員長だった濱中証人が、警察との関係を持っていないことなどありえない。
裁判後の総括集会で4原告はそれぞれに、「国労本部を追い詰めた」「真正面から闘い必ず勝つ」と決意を語った。
この日の朝と昼には、原告を先頭に「共に闘う国労の会」が裁判所前での宣伝行動を展開し、動労千葉鉄建公団訴訟の最高裁に対する署名も数多く寄せられた。(東京 K)
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