3・1ビキニデー集会 215人が参加し熱気と闘いの意欲
60周年を迎える3・1ビキニデーにふさわしく、3・1ビキニデー集会は杉並産業商工会館ホールは215人の熱気と闘いの意欲に満たされました。司会は富田翔子さん、NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)事務局次長であり、東京西部ユニオン・アメリカンアパレル分会書記長です。こうした集会は初めてという職場の仲間(新組合員!)も参加しています。
主催者・NAZEN東京から北島邦彦(NAZEN杉並)が、3・1ビキニデーの現在性、とりわけ「3・11」以後のビキニデーがもつべき意義について、「内部被曝との闘い」という視点から開会挨拶。ビキニ事件隠蔽のための「核の平和利用」論が、日本の原子力政策推進の錦の御旗となって54基もの原子炉を建設してきたこと。それが新自由主義破綻の矛盾の集中点となって、「3・11」―福島原発事故として噴出したこと。この事態を経て、3・1ビキニデー闘争は新たな闘いの軸となる地平を獲得するに至っています。
東京都知事選挙を闘った鈴木達夫弁護士は、新宿高校時代に原水禁署名運動を担った経験にも触れ、都知事選挙闘争によって新しく豊かな次元の運動が生まれようとしている状況を確信をもって訴えました。そして、「安倍政権の再稼働攻撃に何をもってぶつかっていくのか?」と、集会参加者に問いかけました。それは内部被曝への怒りを燃え立たせ、福島の怒りに限りなく接近していくことであり、だから3・11郡山結集が決定的に重要なのだと。都知事選挙の過程で、オリンピック返上は福島の声だと実感したことが、その想いの基底にあるということでした。
本集会のメインは、ふくしま共同診療所・杉井吉彦医師の1時間に及ぶ講演です。杉井医師も冒頭で都知事選挙に触れ、自分の選挙への関わりから「やればできる」という感覚・自信を得たと振り返り、それが政府・福島医大との闘いのエネルギーに加わったと。
福島の現実はどうなっているのか?杉井医師は、「福島の状況の厳しさの前に、何も応えられない事態」と規定します。爆発させて放射能を飛び散らせることに核の本性があり、それを閉じ込めようとすること自体に無理がある。政府は「安心・安全」キャンペーンと「除染」しか対応策を示せず、「あきらめている」としか考えられないというのが現地の実感だ。県民健康管理調査の結果が出るたびに甲状腺がんの目安をクルクル変えるのも同様で、がんの危険性を意図的に小さく見せようとしている。さらに、被曝による甲状腺の機能低下にも、あらゆる臓器の異常にも目を向けなければならない。福島医大は甲状腺検査について県内の医療機関の助力を求めているが、その協定には「データを漏洩しない、公序良俗に反しない(どういうことだ?)、検査結果を告知しない」という条件がある。それを従順に認める民医連(日本共産党系)の許しがたい姿勢もある。
だから「普通の診療所を!」の声が、福島現地で出てきた。1000人の検査を行ってきたが、まだまだ蓄積されたデータとしては少ない。医学的にも「原発事故による被曝の影響とは考えられない」と言わせず、有無を言わせない「勝利」が必要だ。仮設入居者の健康、原発・除染労働者の被曝、震災関連死の問題もある、保養・避難の紹介活動も必要だ。こうした課題に取り組むなかで、医療労働者の考えが変わっていく、そして医師の
姿勢も必ず変わっていく。「待つ医療」ではダメで、「打って出る医療」が必要になっている。そのためには診療所を大きく充実させていくことが必要だ。杉井医師はそう講演を締めくくりました。
参加者との若干の質疑応答の後、NAZEN事務局長・織田陽介さんが、3・11反原発福島行動(郡山)への大結集を訴える集会のまとめを提起。東京において闘われるべき内部被曝の問題として、給食―もっと広く食についての課題も示しました。NAZEN東京をつくっていくうえでの課題と果たすべき役割を明確にした集会としても大成功でした。
(NAZEN東京 北島邦彦)
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