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鈴コン闘争 都労委で解雇撤回命令 故田口さんの無念晴らす勝利

20150904g-1.JPG 東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会は、昨年の3人の解雇撤回・原職復帰に続いてまたも勝利した!
 8月26日、東京都労働委員会は、故田口守組合員の解雇を不当労働行為によるものと認定し、2009年11月10日の不当解雇から11年8月16日の無念の急逝まで雇用が継続されていたものとして、約1年9カ月分の賃金を遺族に支払うよう命じた。そのほか、11年9・27ストライキに対する出勤停止処分、09年9月時限ストへの戒告処分も不当労働行為と認定した。大勝利だ。反動化し無力化してきた都労委が鈴コン分会の正義を認めざるを得なかった。

 9月1日、鈴木資本はなんの展望もなく中央労働委員会へ再審査を申し立てた。だが、鈴コン分会の不屈の現場闘争と支援・連帯・共闘の拡大を土台にした6年に及ぶ労働委員会闘争でかちとった今回の不当労働行為認定の命令は、資本をトコトン追いつめている。非正規職労働者は、国鉄闘争を闘う動労千葉の背中を見ながら、自ら団結して闘えば勝てることを三たび実証したのだ。
田口解雇撤回は分会の原点
 第一に、故田口組合員の解雇撤回闘争は鈴コン分会の団結の原点だ。
 09年7月の分会結成の契機が田口組合員への退職強要だった。また同年11月、分会破壊攻撃が田口組合員解雇と一体でかけられ、これをはねのけ再度立ち上がったのが現在に至る鈴コン分会の本物の出発点だった。
 さらに、昨年かちとった解雇撤回・原職復帰の元々の解雇攻撃は、解雇撤回闘争の渦中に急性脳梗塞で亡くなった田口組合員の解雇撤回と一方的な手当削減撤回を求めた11年9・27ストライキへの報復であった。当時、分会は「これは弔(とむら)い合戦だ」と腹を固めてストに臨んだ。
 そして、その後の分会三役解雇を3年かかって撤回させ、なおも闘い続けた。田口組合員が亡くなって4年、団結を崩さずに闘い続けた勝利だ。
 田口解雇は、非正規職労働者が職場で組合をつくり胸を張って闘うその誇りをたたきつぶす攻撃だ。だが、解雇撤回闘争は人生をかけるにたる闘いだ。団結の中にこそ労働者の生きる道がある。
 第二に、これは鈴コン分会だけではなく、国鉄闘争と一体の勝利だ。
 1980年代初め、国鉄分割・民営化攻撃が始まる時期に、鈴木資本は組合をつくられた恐怖からダミー会社・東豊商事をつくった。しかし、国鉄1047名解雇撤回闘争は、この6月30日、動労千葉鉄建公団訴訟で最高裁に国鉄分割・民営化は国家的な不当労働行為だと認めさせた。
 また、2010年4・9政治和解は、雇用と不当労働行為について二度と争うなと迫ったが、動労千葉と4人の国労闘争団はこれを拒否して闘ってきた。東京地裁で「不採用規準の策定自体が不当労働行為」(12年6月)という判決を書き、後に更迭された白石哲裁判長は、鈴コン賃金仮払いの仮処分への会社側異議申立の却下決定(12年10月)にもかかわっている。実際に鈴コン闘争と国鉄闘争は一体だった。国鉄闘争とひとつになって闘えば勝てるのだ。
■闘いの中心は一貫して職場
 第三に、職場闘争で資本と闘い続けてきた。裁判や労働委員会に依存したら勝てないこと、闘いの決着は職場であり、団結の拡大であることを繰り返し討議してきた。分会三役が解雇されていた3年間も、職場復帰してからの9カ月間も、闘いの中心は常に職場だった。労働者がいなければ資本は1日も持たない。闘う課題は山ほどある。
 第四に、闘いはこれからだ。資本家全体が危機だからこそ、労働者は労働組合を強くして闘う時だ。正規・非正規も産業も国境も超えて団結して闘う時だ。非正規職撤廃を階級的に闘ってきた韓国・民主労総のゼネストに連帯しよう。安倍を倒して戦争を阻止する最大の力は労働者の階級的団結である。だから資本・権力のすべての攻撃の狙いは労働者を分断し団結を破壊することだ。それゆえに不当労働行為との闘いは決定的なのだ。
 9月国会・国鉄決戦から11・1労働者集会へ、労組の団結旗を高々と掲げて前進しよう!(東京西部ユニオン・YS)

写真は:昨年の分会三役の解雇無効判決報告集会で田口組合員の遺影とともに登壇する鈴コン分会

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