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三里塚耕作権裁判、千葉地裁へ怒りのデモ

20161019b-1.JPG 10月17日、千葉地裁民事第2部(内田博久裁判長)で、天神峰・市東孝雄さんの耕作権裁判が開かれた。三里塚芝山連合空港反対同盟はこの裁判を、最高裁段階にある農地法裁判と一体の決定的な闘争と位置づけ、顧問弁護団、支援の労働者・農民・学生・市民とともに全力で立ち上がった。
 朝から強い雨が降りしきる中、千葉市葭川(よしかわ)公園で午前9時、太郎良陽一さんの司会で集会が始まった。萩原富夫さんが「第3滑走路建設の攻撃に対し地元住民の怒りと結んで粉砕しよう。市東さんの農地を守りぬこう」と千葉市民に訴え、直ちにデモに出発。反対同盟は先頭で「耕す者に権利あり」と大書された横断幕を広げ、宣伝カーからは婦人行動隊・宮本麻子さんがシュプレヒコールをリードした。デモ隊は千葉地裁前で一層の怒りを込めて、こぶしを突き上げた。

20161019b-2.JPG 全員がデモの勢いそのままに傍聴に臨み、70近い席がすべて埋められた。10時30分開廷。
 この間NAAは「予備的主張」として、この裁判での重大な争点である市東家の賃借地の場所特定問題について唐突に、「少なくとも1988年の〈同意書〉〈境界確認書〉と添付の測量図面で(旧地主と市東東市さんが)合意した」と言い出した。つまり、「市東家が実際どこを耕作してきたかはともかく、88年の合意で”賃借地はここ”と決めたのだから、その通りでいいじゃないか」という意味だ。このあまりにもデタラメで無責任な主張に、弁護団の怒りの追及が集中した。
20161019b-3.JPG NAAが証拠として提出している「同意書」「境界確認書」はまぎれもなく偽造文書だ。これにあくまですがりつき、しかもその図面を実際の耕作場所を表したものではなく、その場での合意に過ぎないというのだ。
 またNAAは1950年に交わされた旧地主と市東家の農地の賃貸借契約について、「場所が特定されていない。南台41番地の中ならどこでも耕作してよい、という契約だった」と言い出した。
 こんな苦しまぎれの珍解釈はまったく成り立たない! そもそもこの耕作権裁判と農地法裁判は、市東家の賃借地はどこなのか、とりわけ南台41―9の土地が市東家の賃借地なのかどうかをめぐって、具体的に激しく争ってきたものだ。結局41―9については市東家は一度も耕作したことがなく、石橋家が植木を育てていた土地だったことが明らかになった。
 この事実に追い詰められた末のNAAの新主張が「同意書でこう決めたのだからそれでいいじゃないか」というものだ。
 弁護団の激しい追及に対し、NAAの代理人は「書面で応じる」との旨を繰り返すのみ。裁判長も「先ほどと同じ答えですか」などと助け舟を出す。傍聴席からは「まともに答えさせろ!」との声が続々と上がり、法廷は怒りで充満した。市東さんも被告席から「自分らがつごう悪くなったらそんなことを言うのか!」とNAAを一喝した。
 次回期日を1月30日と確認し閉廷した。千葉県弁護士会館で、伊藤信晴さんの司会で報告集会が開かれた。
 最初に市東さんがあいさつに立ち、「空港のそばの土地はすべて空港のもの、そういう考えが今日の41―9問題に表されていた。絶対に許せない! 第3滑走路を阻止し、この裁判でもNAAの言い分を必ず崩す」と決意を述べた。
 葉山岳夫弁護士をはじめ弁護団がNAAの新主張を詳しく解剖し、しかもそれを予備的主張(今までの主張とは両立しないけど、こうも言える)という形で出してきた卑劣さを指摘した。これは土地の特定問題でのNAAの完敗宣言だ。
 さらに内田博久裁判長が2回8年にわたる訟務検事(行政訴訟などで国の代理人を務める)の経歴を持つことが暴かれ、反動判決を下すためにこの裁判に送り込まれた裁判長であることが指摘された。農地法裁判での多見谷裁判長と同じだ!
 動労千葉、関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会に続き、全国農民会議共同代表の小川浩さんが連帯発言に立った。「耕作地がどこでもいいというなら、市東さんへの”不法耕作”という訴えがうそだったということだ。許せない! 私の隣の町も第3滑走路で騒音地域になる。周辺住民を市東さんの農地を守る運動に獲得する」と決意を述べた。
 最後に萩原富夫さんが10・9全国集会の成功へのお礼を述べた上で、「住民の怒りを結集し第3滑走路を阻止しよう。署名を集め、運動を拡大し、市東さんの農地を守り抜こう」と訴え、一同の奮起を促した。(TN)

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