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星野再審無罪へ 葬儀参列者1000人が新たな誓い

葬儀告別式に全国の救援会、労働者、学生が参列し棺に横たわる星野さんとの別れを惜しんだ(6月8日 東京・杉並区)

「沖縄返還協定批准阻止」の1971年11・14渋谷闘争をデモ隊のリーダーとして闘い、殺人罪のでっち上げで無期懲役刑を科せられ、無実で獄中44年。過酷な弾圧と不屈に闘いぬいた星野文昭同志が、5月30日午後9時44分、肝臓がんの切除手術後、帰らぬ人となった。6月7日の通夜に続き、8日に葬儀告別式が、杉並・光明院観音ホールで行われた。両日で千人を超えた参列者は、星野さんの命を奪った国家権力への怒りを胸に、星野さんの遺志を引き継ぎ、再審無罪を勝ち取ること、星野さんを死に至らしめた徳島刑務所・四国地方更生保護委員会を追及する国家賠償請求裁判を闘うことを誓い合った。闘いの第一弾として7・5法務省包囲デモ(正午 日比谷公園霞門集合/主催 星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議)に全国から集まり、星野さんの無念をなんとしても晴らそう!
 開式予定の午前10時半前から式場は参列者で埋まり、入りきれない人が庭にあふれ出した。葬儀告別式は黙禱(もくとう)から始まった。式場正面の棺(ひつぎ)に文昭さんが横たわっている。喪主の星野暁子さん、文昭さんの長兄・星野治男さんといとこの星野誉夫さんが前列に座る。
追悼の辞は、再審弁護団主任弁護人の岩井信弁護士と星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議共同代表の戸村裕実さん。岩井弁護士は、死亡診断書に「巨大な腫瘍(しゅよう)に対して切除術を行った」と書いてあったと語り、「腫瘍を巨大にしたのは、検査せず、無視した徳島刑務所をはじめとする当局の責任だ。この責任を追及し、再審無罪に向けて真実を明らかにしていく。今日は終わりではなく、始まりだ」と決意を込めた。
戸村さんは、71年の三里塚が文昭さんとの出会いだったと語り、「71年の三里塚、沖縄の激闘を率先して担い、その報復弾圧を一身に受けた文昭さん。再審無罪を勝ち取らなければならない。徳島刑務所、更生保護委員の罪責を問わなければならない」と怒りに身を震わせた。
日本全国のみならず韓国、アメリカ、トルコ、ドイツから弔電・追悼文・供花が寄せられた。元参議院副議長の角田義一弁護士は「星野君の遺志を引き継ぐと同時に国家権力の悪を暴く闘いを共に進める」と闘魂を示した。
遺族を代表して、星野暁子さんが文昭さんに語りかけた。「文昭と一緒に生きた33年、幸せな良い人生でした。文昭、あなたを殺した国家権力を裁くために国賠をやりましょう。文昭の闘いを私が継承して、再審の新しい闘いに踏み出しましょう」。(全文別掲
星野解放歌を手がけた丸尾めぐみさんがピアノで「ソリダリティ」などを献奏し、献花が行われた。
革共同の真紅の旗とFree Hoshinoの黄色の旗が棺を飾った。
別れではなく、文昭さんの遺志を引き継ぐ新たな星野闘争の始まりだ。

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