三里塚新やぐら裁判―3人が証言し農地強奪阻止訴える
12月16日、千葉地裁民事第2部(内田博久裁判長)で、新やぐら裁判が開かれた。前々日の団結いも煮会大成功の熱気を引き継ぎ、三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団、支援の労働者・学生・市民は、農地強奪攻撃を打ち砕く決意も新たに、この日の法廷に臨んだ。
この裁判は市東孝雄さんの天神峰農地に建つ反対同盟所有のヤグラ・看板などの4つの物件について、成田空港会社(NAA)が「収去と土地の明け渡し」を求めて提訴したもの。今回から証人調べに入り、午前から夕方まで3人が証言台に立った。
◎加瀬勉証人
一人目の証人は加瀬勉さん。弁護団の質問に答え、生い立ちから語り出した。 多古町に生まれ、町の青年団長などを歴任、1956年に社会党に入党し、63年の富里空港案の時から反対闘争に取り組み、66年に三里塚に常駐。日本を代表する畑作地帯である成田、富里、八街などの北総台地を壊滅させる巨大空港建設に対し、農業の未来を守るために闘いに身を投じてきた。農地法にうたわれる「耕す者に土地を」の精神を踏みにじり、市東さんの農地を取り上げる暴挙への怒りを表した。
加瀬さんは、71年の取香の小泉よねさんに対する強制代執行を目の当たりにした。9月20日、「今日は代執行中止」と県知事の発表がもたらされ、よねさんが脱穀作業を始めた直後に、執行官、機動隊、ガードマンなどが大挙して現れた。完全なだまし討ちだ。抵抗するよねさんの顔面に機動隊は大盾を打ちつけ、前歯を折り、彼女は白目をむいて倒れた。
よねさんはその後東峰に移り住んだが、生きる希望を失って亡くなった。この「日本一貧しいおばあさん」を生活できるようにするのが、本来の政治ではないのか! 国家権力が法を踏みにじり、法を凶器に変えて農民を殺すなら、こちらには実力闘争しかない。
成田空港がまたしても巨大な第3滑走路を建設しようとしている。九十九里浜から茨城県の水郷地帯までが騒音地獄と化すだろう。50年の歴史を反省し中止すべきだ。
今世界の人口の半分が飢えている。人間の生命にかかわる環境・農業を破壊するのは歴史の流れへの逆行だ。市東さんが有機無農薬野菜を作り続けることにこそ社会的意義がある。市東さんの耕す農地を奪う判決を出すなと、加瀬さんは裁判長に迫った。
◎平野靖識証人
二人目の証人は平野靖識さん。「三里塚物産」を1978年に設立し代表取締役を務め、2018年に退任、今も東峰の地で会社の業務をしている。
ベトナム反戦運動の高揚の中で、69年に大学卒業とともに三里塚に来た。70年に小泉よねさん宅敷地内に団結小屋を建ててそこで暮らし始めた。
市東東市さん(孝雄さんの父・故人)とは日常的に交流していた。「よねさんの家が代執行にあったら、次は俺の番だ」とよく言っていた。東市さんは78年の会社設立のさいに借金の連帯保証人になってもらった恩人。南台と天神峰の畑について、地主が空港公団に売り渡していたことを、東市さんは知る由もなかった。当時は天神峰にほかの農家も数戸存在しており、空港用地に転用できる見通しなどまったくなかった。
平野さんは91年から始まる成田シンポジウム、成田円卓会議にスタッフとして参加した。93年6月に空港公団は2期工事の収用裁決申請を取り上げ、事業認定は失効。円卓会儀最終回の94年10月に隅谷調査団の最終所見が示され、「平行滑走路の用地の取得のために、あらゆる意味で強制的手段が用いられてはならず、あくまでも話し合いにより解決されなければならないことが肝要」と確認された。公団、運輸大臣、県知事などがこれを受け入れ、合意した。
市東さんの農地裁判判決での「話し合いが頓挫した場合はその限りではない」などという解釈が入る余地はまったくない。
市東さんの三里塚産直の会の活動は、生産者と消費者が提携して小規模農家が専業で食べていけるモデルとして大変貴重だ、と平野さんは強調した。
そして、裁判所は平和的・理性的な解決の道に資する判決を出さなければならないと訴えた。
◎伊藤信晴証人
三人目は反対同盟事務局の伊藤信晴さん。
市東さんの天神峰農地での反対同盟看板の設置にかかわってきた。暫定滑走路供用開始を前にこれに反対する看板を出荷小屋の横に小見川県道を通る車から見えるように建てた(02年3月、これは現存していない)。
さらに天神峰農地北側に、誘導路を走行する飛行機からも見えるように長さ23メートルの「空港反対」の大看板を建設した(02年4月)。これの効果で台湾や韓国からの取材が来た。
そして自衛隊のイラク出兵を前にして県道の脇に「成田軍事使用反対」「イラク出兵阻止」の高さ10メートルの縦長の看板を設置した(06年1月)。現在はそれには「強制収用阻止」「第3滑走路粉砕」と書かれている。伊藤さんはこれらの設置にかかわる苦労話なども交えながら、看板に書かれたスローガンが自分たちの生活の延長から生まれた言葉であり、心底からの叫びであることを強調した。そうした表現の自由は守られるべきものであり、看板を「撤去せよ」とのNAAの要求は本末転倒であり、「反対同盟には正当な権限があり、明け渡しの必要などまったくない」と断言した。
そしてNAAが文書提出命令にも従わず、自らの違法行為をつねに隠蔽しようとしていることを厳しく糾弾し、弁護団が求めている法理哲二(元空港公団用地部用地課長代理)、浅子直樹(元公団用地部長)、黒野匡彦(元空港公団総裁)の証人採用を決定するよう裁判長に迫った。
NAAの3人の代理人は反対尋問を一切行わず、自分たちの農地強奪攻撃に一片の道理もないことをさらけ出した。内田裁判長は、予定時間内にこの日の証言を終わらせることだけに腐心して証言にたびたび介入し、傍聴席から怒りの声を浴びた。
次回期日は1月22日、次々回は同30日。いずれも証人尋問が予定されているが、裁判長は法理、浅子、黒野らの敵性証人の不採用を決定しようとしている。許してはならない!
千葉県弁護士会館で伊藤さんの司会で報告集会が開かれた。長丁場の裁判を闘い抜いた充実感の中で、葉山岳夫弁護士をはじめ弁護団一人ひとりがあいさつし、闘いの決意を述べた。
最後に太郎良陽一決戦本部長が、12・24成田空港公聴会弾劾闘争(芝山文化センター、午前9時集合)、1・12団結旗開き、1・16請求異議控訴審第2回(東京高裁)への参加・結集を強く訴えて、締めくくった。(TN)
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