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被爆75周年 8・9長崎闘争 「敵基地攻撃能力」に怒り 核兵器と原発なくせ

被爆者・城臺美彌子さんが訴え(8月9日 長崎市)

被爆から75年、今年の8・9長崎反戦反核集会は新たな核戦争情勢と対決し、被爆の実相と被爆者運動を青年・学生へ継承することを課題にして勝ち取られた。8月8日には平和学習を行い、9日当日の午後には長崎市内でNAZENナガサキ主催による「被爆75周年 8・9反戦反核長崎集会」が開催された。
集会では冒頭、今年逝去されたNAZEN呼びかけ人の鈴木達夫弁護士と、2018年に来日されて8・9長崎集会で韓国の原発の現状と反原発運動について報告されたソブンスクさんへの黙とうが行われ、冥福を祈った。
長崎の被爆者・城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんが「被爆75周年、今思うこと」と題して講演をされた。城臺さんは、核戦争のかつてない危機が迫っていると冒頭に指摘し、「自分の国のファーストばかり主張する世界の指導者が、ののしり合いながら核兵器の実戦配備を急速に進めている」と弾劾した。「安倍政権も敵基地攻撃能力の保有、新たな安保策定の議論に着手するとして先制攻撃を行おうとしている」と怒りを込めて語った。
 城臺さん自身や谷口稜曄(すみてる)さんら多くの被爆者の被爆の状況を語り、自分自身は直後に避難したので今も生きているが、多くの隣人や友人が次々と死んでいったこと、被爆者が傷口をウジにかまれながら、アカザなどの野草を食べてやっと生き延びた状況を語った。
日本は核兵器禁止条約も締結していない。イラクでは劣化ウラン弾が使用されたが、「世界は核に汚染されたら生きていけない」と指摘し、「福島の内部被曝問題も政府に認めさせなければならない」と訴えた。
そして「コロナと核の二つの問題と闘って生きていかなければならない。平和とは当たり前の生活ができること。それが急にできなくなった。コロナ禍は戦時中と同じだ。この状況をいかにして平和につなげていくかが問われている」と講演をしめくくった。
続いて、広島大学の学生が「集会禁圧を打ち破って、広島も長崎も集会を打ち抜けた。被爆者の生きさせろの叫び、戦争と核を認めない闘いをとらえ返して実現した。コロナ情勢の中で新たな闘いが始まっている。75年にわたる反核闘争を引き継いで闘っていきたい」とアピールした。
NAZENふくしまが作成したビデオメッセージ「10年目のフクシマ」が上映され、放射能汚染が続く福島の今が伝えられた。そして来年の保養に向けた訴えがなされ、NAZENナガサキのテーマソング「だいすきで たいせつなひとへ」が披露(ひろう)された。
協賛団体の動労総連合・九州の羽廣憲委員長が「戦争も許さず、資本との闘いもあきらめず、一歩も引かない労働組合を再建するためにがんばっていきたい」と決意を表明した。動労千葉の関道利委員長の11・1全国労働者集会を呼び掛けるメッセージが読み上げられ、「『コロナ危機』で、時代は音を立てて動こうとし、私たちの構え次第で巨大な可能性が生まれる」との訴えが紹介された。
このコロナ禍で住宅街に長崎大学と国が危険な病原体を扱うBSL4施設を建設していることに反対する住民、レイバーユニオン福岡、改憲・戦争阻止!大行進・北九州も登壇し、マイクを握った。京都大学の学生は「京大で731部隊を隠蔽(いんぺい)しようとしている人物が学長となり、軍事研究も進んでいる。学生運動への弾圧を許さず、労働者・学生の決定権を奪い返していく」と熱烈な決意を表した。
橋里耕悟事務局長がまとめの発言を行い、広島被爆者訴訟の勝利と内部被曝問題について語り、「戦争に反対する、核に反対する、非正規労働に反対する、これは同じ問題」と強調、国際連帯を求めて11月労働者集会に集まろうと呼びかけた。最後に「核兵器の廃絶と原発の停止、安倍政権による改憲に反対する集会決議」を採択し、満場の拍手の中で閉会した。
今年の8・9長崎集会は75年の節目の年として、新たな反戦反核闘争の出発点をつくった。

城臺さんの集会発言 核戦争で勝つ国はない
 原子爆弾投下と私たちの被爆から75年。コロナウイルスという地球人類危機の今、核の本当の恐ろしさを知らない世界の指導者たちは、協力も助け合いも忘れて、ののしり、非難し合い、核兵器の実戦配備を急速に進めています。
2019年8月にアメリカ大統領トランプが、一方的にINF(中距離核戦力)全廃条約を破棄。今年2月には潜水艦発射型の小型核弾頭の実戦配備を発表しました。相手のロシアも弾道ミサイルが発射されたら核で反撃すると、国家政策原則を発表しました。まるで駄々っ子が核のおもちゃを自慢しあっているようです。
日本でも、6月に河野防衛相が安倍総理と組んで、敵基地攻撃能力の保有を視野に新たな安保戦略策定の議論に着手すると、突然に表明しました。しかも、ミサイルが飛ばされたら敵地で撃ち落とすというのです。それって先制攻撃ではありませんか。日本国憲法にもとづく専守防衛から、いつ先制攻撃に変えられたのでしょうか。安倍政権が憲法を自分たちのいいように勝手に解釈したのでしょうか。彼らは簡単に敵基地攻撃と言いますが、本当におぞましさを感じます。
1945年8月9日、長崎ではどんなことがあったのか。私は当時6歳でした。今年81歳になります。爆心地より2・4㌔、爆心地と私の自宅との間に360㍍の山があり、その山陰になって私は一命をとりとめました。しかし、家は崩れたので、家族と一緒に福岡県、大分県へ1カ月の避難生活をしました。そのおかげで助かりました。もし長崎にいたら、きっと内部被曝などであとで苦しんだと思います。私の隣に住んでいた友人家族はそれから次々に亡くなっていきました。
原爆の瞬間、長崎市は普通の生活をしていたんです。電車は動いていました。山里小学校という学校では子どもたちが運動場で遊んでいたそうです。自分たちの声で飛行機が近づいた音は聞こえず、遊びながら焼かれました。
長崎市民24万人のうち、約3分の1、7万3千人はその年のうちに命を奪われました。さらに3分の1の人たちは被爆の影響を受けながら生きていたんですが、翌年のお正月以降、徐々に命を落としていきました。孤児になった子どもたちは住むところも、寝るところもなく、アカザという野草を食べて生き延びました。
いまアメリカは仮想敵国を中国やロシアにしてますよね。日本も先制攻撃をすると。でも、したらどうなるか、本当に想像してほしい。核戦争をやったら勝つ国はないんです。山も畑も海も湖も全部を核汚染されたら、いくら上等なシェルターをつくっていても生きられない。
国連がやっている核兵器禁止条約に日本は入っていません。黙って放っていたら、本当に核戦争になります。
内部被曝の話をさせてください。イラク戦争でアメリカは劣化ウラン弾を使いました。広島や長崎のような症状が出ています。第3の原爆です。そして、福島の子どもたちの内部被曝を日本政府は認めないですが、私たちの運動で認めさせなければいけないと思います。
平和って何かっていうと、当たり前の生活が普通にできることなんです。コロナの中で、戦時中と同じだということを感じてほしい。私たちは、コロナと核の二つの問題に対して闘って生きていかないといけないと思います。

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