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三里塚耕作権裁判―NAAの耕作地の位置特定の誤りを徹底追及

反対同盟を先頭に千葉市中央公園から千葉地裁に向けてデモに出発(4月25日)

4月25日、千葉地裁民事第2部(本田晃裁判長)で、天神峰・市東孝雄さんの耕作権裁判が開かれた。
開廷に先立ち千葉市中央公園で、三里塚芝山連合空港反対同盟が呼びかける決起集会が70人の結集で開かれた。
最初に東峰の萩原富夫さんが発言に立った。「戦争を許さない。ウクライナで明らかなように戦争で真っ先に攻撃されるのが空港だ。航空需要激減の中でも成田空港が機能強化・第3滑走路建設を進めていることで、軍事空港としての本質がいよいよ明らかになっている。第3滑走路建設を止めよう。改憲・戦争準備を阻止し、農業を守ろう。市東さんの生活破壊を許さず、国家による人権侵害に対しともに闘おう」
続いて動労千葉の中村仁副委員長が連帯発言で、「義理と人情でつながって闘い、戦争を止め、農地への強制執行を粉砕しよう」と訴えた。
関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会の発言を受け、決戦本部長・太郎良陽一さんのリードでシュプレヒコールを上げ、デモに出発した。
快晴のもと、反対同盟を先頭に千葉市の繁華街を力強く行進し、通勤途中や開店準備で働く人びとに「戦争反対、農地守ろう」の訴えを届けた。千葉地裁入り口には警察官がものものしく大量に配置され、デモ隊は一層怒りをたぎらせ、声を上げた。

「戦争を止めよう、農地を守り抜こう」と訴える反対同盟・萩原富夫さん(千葉市中央公園)

「コロナ」を理由に傍聴人数が制限される中、午前10時30分開廷。
この裁判では、市東さんの南台の耕作地を成田空港会社(NAA)が「不法耕作」と決めつけて明け渡しを求めている。だが、市東家が祖父の代から100年耕し続けてきた土地であり、市東さんには揺るぎない耕作権がある。この裁判は逆に、空港公団=NAAが手を染めてきた違法・不正の数々を追及する場になっている。
反対同盟顧問弁護団は、NAAに対する認否・反論として準備書面44を陳述した。争点の中心は、市東さんの耕作地の位置特定についてのNAAの致命的誤りとその居直りである。
「関係土地図」のA・B・C・Dが市東さんの耕作地だ。NAAは06年に、A・C・Dの土地を不法耕作と決めつけて提訴し、08年にはE1とBを「賃貸借契約解除」を理由に明け渡しを求めて提訴してきた。

南台関係土地図と現在の衛星写真。A、B、C、Dが市東さんの耕作地。A、Bが「本来の」市東家の賃借地で、C、Dは地主の承認のもとに市東東市さんが1970年代前半から耕し時効取得されている。E1は石橋家の賃借地だった土地で、市東家が耕したことは一度もない

ところがE1(南台41―9)は石橋家が耕してきた土地であり、市東家が耕したことは一度もない。この厳然たる事実を突きつけられたNAAは、最近になって自らの主張に手を加え、「市東東市(孝雄さんの父・故人)はA土地を、石橋が耕作していたC土地と地主藤﨑に無断で交換した。E1土地が東市の賃借地とすると、東市は以前にE1土地と石橋賃借地A土地とを交換していたことになる」と言い出した。つまり土地交換が2回行われたというのだ。
まったくのでたらめであり詭弁だ。E1があくまで市東家の賃借地だったという誤った前提から、憶測を重ねてありもしない「2回交換」を勝手に導き出しているだけで、なんの証明にもならない。
弁護団にこの矛盾を指摘されると、NAA代理人弁護士は最初は虚勢を張って薄ら笑いを浮かべていたが、傍聴席からも弾劾の嵐を受けてしどろもどろになった。
このNAAによる「E1は市東家の賃借地」なる主張の唯一の根拠が、旧地主・藤﨑による南台農地の耕作状況についてのずさんな手書き地図「藤﨑メモ」だ。これは東市さんが1987年12月に地代を払いに藤﨑宅を訪れた時に、東市さんの説明を藤﨑が書きとったものとされるが、このいたずら書きのような藤﨑メモは、彼が地主でありながら耕作状況の実態をまったく把握していなかったことを表しているだけだ。公団職員がこのメモを入手した経緯も不明で、こんなものが位置特定のまともな証拠になろうはずもない。

藤﨑メモ。1987年12月に地代を支払いに来た市東東市さんを呼びとめ、藤﨑があわただしく聞き取りして書いたもの。空港公団に売り払うために書かれたものだが、このメモからは藤﨑が耕作現況をまったく把握していなかったことが読み取れるだけで、これがすべての誤りの出発点となった

さらに今回の追及のもう一つのポイントは、空港公団(当時)の役職員の存在だ。
NAAはこの期に及んでも、藤﨑との用地買収交渉に関連する報告書などの記録文書は「一切存在しない」と居直っている。また、用地課の担当者だった上西亮治(故人)の仕事の特有のやり方で「文書を残さなかった」などと見え透いたうそを吐いている。死人に口なしというわけだ。だが1987年、88年の公団用地部用地課には多数の役職員がいたことが、当時の大蔵省印刷局発行の「職員録」上巻に掲載されている。
用地課長の笹原啓明、同課長代理として浅井昭、浅海輝行、法理哲二、大貫喜久男、白鳥晃、鈴木勲、糸賀実など、さらに調査役の山本進、佐藤直人……。これら計20人が用地交渉を直接担った者であり、この生存者全員の陳述書提出は必須不可欠だ。まずは彼らの現在の安否と所在の確認・調査をNAAは行え。
このまったく当然の要求にNAA代理人はショックを受け、顔面蒼白で互いに顔を見合わせている。弁護団は裁判長に向け、この調査を速やかに実行するよう原告NAAに対し訴訟指揮を行うことを要求した。
だが本田裁判長は「原告の対応を見てから」などと言を左右にして、何もしようとしない。NAAがまたしても卑劣な証拠隠しを行うことを容認するのか。傍聴席から激しい怒りの声が裁判長に集中し、弁護団も「やる気があればすぐできることだ。不実行は許されない」と裁判長に詰め寄った。
次回期日を8月22日として閉廷した。

「NAAを追いつめよう!」と訴える市東孝雄さん。右は葉山岳夫弁護士

裁判所向かいの千葉県教育会館で伊藤信晴さんの司会で報告集会が開かれた。
最初に市東さんが、「NAAは裁判所が何も言わなければデタラメを通します。みんなの力でNAAを追い詰めていこう」と参加者の奮闘をねぎらった。
さらに事務局長の葉山岳夫弁護士をはじめ弁護団がそれぞれ、NAAを圧倒した手応えをもって法廷での応酬を振り返り、位置特定の誤りがNAAの提訴を土台から崩壊させる急所であることを勝利感をもって確認した。
さらに弁護団からの提起として、「民事裁判のIT化」と称する民事訴訟法改悪に対し警鐘が乱打された。現在すでに衆院本会議を通ったこの法案が成立すれば、紙の書面ではなくスマホを使ったメールで訴状や準備書面がやり取りされ、当事者は出廷することなくウェブ会議で画面上に顔を並べて訴訟手続きが進められる。相手方の理不尽を追及しようにも力は削がれ、口頭弁論は無意味化し、手続きの「効率化・迅速化」の果てに権力につごうのよい人権侵害判決が次々と下るだろう。
そしてこの動きは刑事裁判にも必ず及ぶ。日弁連はこれに賛成賛成の態度を表している。まさに戦時下の新たな治安弾圧としてかけられている攻撃だ。
三里塚が先頭でこれを粉砕し、市東さんの農地を守り抜く決意を固めあった。
伊藤さんが最後に、5月9日の新やぐら控訴審(東京高裁)と霞が関デモへの決起を訴え、この日の闘いを締めくくった。(TN)

閉廷後の報告集会は勝利感であふれた(千葉県教育会館)

◎新やぐら控訴審
5月9日(月)午前11時30分 日比谷公園霞門集合→霞が関デモ
午後2時開廷東京高裁

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