三里塚弾圧の3学生を奪還
3月8日、2・15三里塚強制執行決戦で夜を徹して闘い、不当逮捕された3学生が奪還された。戦時下の階級闘争そのものといえる決戦を実力で闘い、奪還した地平は本当に大きい!
権力は3学生を四街道署、成田署、佐倉署に分散留置し、奪還闘争の場も分散させようとした。「住所不詳」を勾留理由としながら、飯田駿介さんと長江光斗・全学連書記長が住む京都大学の学生自治寮・熊野寮へ家宅捜索を強行した。3月2日の勾留理由開示公判は18人しか入れない小さな法廷とし、強制執行を直接行った千葉県警の機動隊を導入して傍聴人を12人も退廷させる暴挙を働いた。逮捕された学生の親のところに権力が足しげく通い、屈服を組織しようとした。
しかしこれらの策動は怒りと団結の拡大に転化していった。全学連は全国から結集し、千葉地裁と3カ所の警察署を連日包囲して強力な宣伝戦を展開。熊野寮でも大衆的な奪還闘争の陣形がつくられて連日のように街頭宣伝が行われ、勾留理由開示公判には京大生を先頭に多くの学生が決起した。多くの労働者人民のカンパがこれを支え、何より強制執行のニュースや激闘の映像に触れた多くの人民が三里塚闘争に心を寄せ、闘いの先頭に立った全学連には、「共に闘いたい」と連絡をくれる人も現れた。
奪還後、3人はすぐに反対同盟へあいさつに向かった。市東孝雄さんは、到着した3人を笑顔で作業場に通して激闘の体験に聞き入り、にこやかな交流の場となった。萩原富夫さん宅にも行き、交歓した。
長江さんは「やぐらの上から見た農地を踏み荒らす強制執行の光景は、ベトナム戦争で戦車が土地を踏みにじる光景のようだった。戦争を絶対に阻止する」と決意を語っている。市東さんの農地死守決戦は、南台の農地をめぐり第2ラウンドだ。戦争阻止へ、3・26三里塚集会に集まろう。
奪還された3学生からのあいさつ
▼飯田駿介さん
強制執行やられて悔しいが、僕は逮捕されるまで3回も引っこ抜かれた。敵はニュースにならないようにと恐怖していた。
いま大学とか職場、地域で戦時下の弾圧が強まっている中で、僕たちと直接関係ない所で闘っている人たちに展望を与える闘争になった。本で読んだ60年安保闘争のような闘いを、今やっているんだと思う。今回の闘いを数百倍、数千倍にして中国侵略戦争阻止、革命で返していきたい。
▼長江光斗さん
国家権力とは徹底的に非和解だし、やつらには一片の正義性もない。やぐらの上から機動隊と徹底的に対決できた。三里塚の闘いを引き継げたと誇りに思う。
NAAや国家権力は、強制執行で反対同盟をつぶし、三里塚の闘いを終わらせようとやってきたと思うが、それが逆に墓穴に転じた。強制執行を通じて全国の学生が立ち上がり、運動が広がっていると感じている。〝闘魂ますます盛んなり〟ということだ。
やぐらの上から何が見えたか。重機が農地を踏み荒らしている様子がベトナム戦争の戦車とまったく同じ。これは戦争だと感じた。ベトナム人民が怒って決起し、それが全世界に広がっていった。国際連帯で絶対戦争を阻止する、岸田政権を打倒する闘いにしていきたい。
▼今井治郎さん
皆さん、3カ月決戦を共に闘ってくれてありがとうございます。本当に悔しいが、強制執行を受けても市東さんは農業を続けている。これが大きな勝利。決戦を決戦として闘えたことがすごく大きかった。
自分が初逮捕される時は、市東さんの農地決戦だと心に決めていた。やぐらに登って闘う機会を与えてもらって非常に誇らしい。本気の闘い、団結・信頼が運動を広げていく大きな力になる。国会闘争・5月サミットへ激しく闘おう。
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