大坂同志の無実が鮮明に 大坂裁判第33回公判
検察側尋問を完全に粉砕
1971年11月14日、沖縄返還協定批准阻止のデモを闘い「殺人罪」をでっち上げられた大坂正明同志の第33回公判が7月21日、東京地裁刑事第4部(高橋康明裁判長)で開かれた。
被告人質問の2日目で、検察側の反対尋問が行われた。大坂同志は渋谷暴動闘争の正義に立脚し、でっち上げをたくらむ検事の反対尋問をことごとく粉砕した。大坂同志は無実だ。
デモ隊が渋谷へ向かう途中、大きな交差点でパトカーが通りかかった。大坂同志は数人の仲間とともにパトカーを追いかけ、追い払った。結果として機動隊との衝突現場に遅れた。検事はこの事実を突き崩そうと執拗(しつよう)に尋問を繰り返した。「デモ隊から離れるのは規律違反ではないか。渋谷を解放区にするというデモの目的と関係ない行為ではないか。パトカーを追いかけ、どうしようと思ったのか」。これに対し大坂同志は「パトカーがデモ隊を監視していると感じ、とっさに体が動いた。パトカーを追い払うことはデモ隊として当然のこと」と毅然と答え、検事に付け入る隙を与えなかった。
さらに「あなたたちのデモで中村巡査が死亡した」と迫る検事に、大坂同志は「それは私が実行犯であると印象付けようとするものだ。私は殴打していない。不当な質問には答えない」とはねつけた。「渋谷闘争は正義だと思うか」との問いに「正義だ」と明快に言い切り、それ以上の追及を許さなかった。指名手配後の46年間の闘いについて、検事は悪意ある質問を繰り返し闘いを傷つけようともくろんだが、大坂同志は完全黙秘で一蹴した。でっち上げをたくらむ検事の反対尋問は完全に粉砕された。
裁判はすべての審理を終えた。論告・求刑は10月19日、最終弁論と大坂同志の最終意見陳述は10月26日に決まった。年内判決情勢と対決し、無実の大坂同志を絶対にとりもどそう。保釈を求める要望書を集めよう。8月26日、保釈奪還総決起集会に集まろう。
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