沖縄戦「慰霊の日」会場内外から怒りの声
岸田は帰れ!戦場にするな
改憲・戦争阻止!大行進沖縄は6月23日、沖縄戦から79年目の「慰霊の日」に沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で岸田弾劾行動を打ち抜きました。
今年の「慰霊の日」の平和祈念公園は、許可証を持っていない車は園内に入れず、大量の警察が闊歩(かっぽ)しており、これまでと全く異なる様相でした。
この光景自体が沖縄戦の再来であり、犠牲者への最大の侮辱です。1945年2月、島田叡県知事をトップとする大政翼賛会沖縄県支部が主体となり、警察部が推進役となって各市町村長や学校に義勇隊の結成を指示しました。15~60歳の県民の疎開を制限し、義勇隊参加を義務としました。県庁と県警が県民の根こそぎ動員に加担したのです。
同じことが今、始まっています。沖縄で遺骨の収集を行う具志堅隆松さんが「慰霊の日」に平和祈念公園内にテントを設置することに対し、公園を管理する沖縄県はハンガーストライキをしないことを条件にしました。岸田を守るために具志堅さんのハンストを制限したのです。そして県庁職員が県警と一体となって県民の弾圧を行っていました。岸田による地方自治法改悪と足並みをそろえるように、自治体労働者の戦争動員が進んでいます。
この平和祈念公園や式典の状況に黙っていたら、それこそ沖縄戦の犠牲者への裏切りになります。私たちは、この現実に怒り、午前10時から公園正門に陣取り、公園に入ろうとする岸田に対して「帰れ!」「沖縄を戦場にするな!」と弾劾の声をたたきつけました。そして、午前11時30分から式典に合わせて、公園の入口前で岸田弾劾行動を開始しました。すると、公道上での行動にもかかわらず、県警と県庁職員と、「慰霊の日は静かにしろ」とわめく右翼が一体となって襲いかかってきました。しかし、大行進沖縄の仲間は団結し、弾圧をはね返し行動を打ち抜きました!
式典終盤、岸田が話す時間になると、私たちはスピーカーで「岸田は帰れ!」「沖縄を戦場にするな!」と声を張り上げました。式典会場内でも岸田への怒りの声を上げる人が現れました。これをきっかけに会場内は、岸田に対する怒りの声で埋め尽くされ、TBSのインターネットのライブ配信が止まりました。そしてかなりの数の県民が式典会場から出ていきました。その中には、手を振って私たちを応援し、そのまま行動に合流して「岸田は帰れ」と共に声を上げてくれる方もいました。
「慰霊の日」から2日後、外務省が米兵の性加害事件を3カ月も遅れて県に通知しました。絶対に許せない。安保粉砕・全基地撤去以外にありえません。こんな沖縄のあり方を一刻も早く変えよう。8・6広島に結集し、岸田を打倒しよう! 暴処法弾圧を粉砕しよう!(改憲・戦争阻止!大行進沖縄 赤嶺知晃)
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