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特集

大坂正明同志は無実

大坂同志は無実 控訴審勝利へ②

大坂同志の当日の行動
現場写真に写っていない

 大坂正明同志は国家権力の憎しみを一身に受け、機動隊殴打の実行犯にされたが、完全なでっち上げであり大坂同志は無実である。
 米軍基地を強化・永続化するためのペテン的な沖縄返還協定の批准を阻止するため、1971年11月14日午後3時13分ごろ、星野文昭同志をリーダーとする約150人の労働者、学生の部隊は小田急線代々木八幡駅に降り立った。
 デモ隊は、集会・デモを全面禁止し1万2千人の機動隊で闘いを圧殺しようとする国家権力を粉砕して渋谷へ向かい、万余の労働者、民衆、学生と合流して渋谷暴動を爆発させた。
 デモ隊は代々木八幡駅から大向通り(当時)を、渋谷をめざして走った。途中、井ノ頭通りとの交差点で1台のパトカーと遭遇した。そのパトカーに向かってデモ隊から火炎びんが数本投げられた。パトカーを追い払うために、大坂同志と4、5人のデモ隊員はそれを追いかけた。
 50㍍ほど追いかけたところでパトカーはスピードを上げて走り去ったので、大坂同志らは大向通りに戻った。デモ隊の最後尾が見えたので追いつくために走って合流し、東急本店前に到達した。大坂同志は機動隊を殴打していないし、殴打現場を目撃すらしていない。

11・14渋谷闘争当日の大坂同志の行動

先頭で突撃はうそ

 警察官・中村邦男が、神山交番向かいにあるクリーニング工場の2階から隠し撮りした写真がある(中村写真という)。それはデモの最先頭から最後尾まで写っている連続写真で23枚のものだ。
 捜査側は全ての写真をA2サイズに拡大して各警察署に配布し、写真に写っている人物の特定に全力を挙げた。しかし、大坂同志はどこにも写っていなかった。
 また、マスコミのカメラマンが撮影し、星野同志の再審弁護団に提供された決定的写真(左=内田写真)がある。
 内田写真は、神山交番前でガス銃を構え、阻止線を張る機動隊の後ろから、機動隊の阻止線に向かって突撃しようとしているデモ隊を撮影したものだ。デモ隊の先頭30人ほどが正面から撮影されている。だが、この写真にも大坂同志は写っていないのだ。
 一審判決は、大坂同志は機動隊の阻止線に向かって先頭で突撃したと認定している。そうであれば、内田写真に写っていなければならないが、大坂同志は写っていない。

神山交番前でガス銃を構える機動隊と対峙して進むデモ隊。大坂同志はどこにも写っていない(1971年11月14日)

全写真出してみよ

 代々木八幡から出発したデモ隊が撮影された現場写真のどこにも大坂同志は写っていないのである。
 中村写真や内田写真以外にも、現場に居合わせた市民が撮影した写真があることは明らかである。捜査側が収集したすべての写真を出してみよ。また、星野同志の裁判で、テレビ各局のニュース映像をまとめたビデオテープが「証拠」となり、裁判所はその保管を警視庁に依頼した。ところが警視庁は、それを紛失したというのだ。星野同志や大坂同志のでっち上げにとって都合が悪いので、証拠隠滅を図ったことが疑われる。
 以上のとおり、大坂同志は機動隊員殴打に関与しておらず、無実である。その事実は現場写真に写っていないことによって明らかである。デモに参加した学生を脅迫してつくり上げた虚偽の「目撃供述」で大坂同志をでっち上げることなど、われわれは断じて許さない。