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大坂正明同志は無実

大坂同志は無実 控訴審勝利へ④

 「大坂が機動隊員を殴打した」と供述したのは、AO、IT、AR、OTの4人である。彼らは見てもいないことをなぜ供述したのか。警察・検察による拷問的な取り調べによって脅され、痛めつけられ、ウソの供述を強制されたからだ。
 彼らはその事実、自らに行われた「取り調べ」と称する国家権力の暴力、脅迫、人格破壊の実態を、怒りをこめて告発している。

■長時間・長期間取り調べ
 AO、IT、ARの3人は闘争時少年だった。彼らは皆、警察の留置場に20~50日間も勾留され、取り調べは毎日10時間に及んだ。昼食も夕食も取調室で食べさせられた。窓もなく時間も分からない完全な密室の中で、警察や検察から長時間脅迫され続けた。

警視庁の地下取調室でARは父親に殴られた

■父親から殴られた
 黙秘していたARは、警視庁の地下取調室で父親から殴られた。夜遅かった。取調室には中津川検事と結城刑事がいた。ARは「母親から後で聞いた話なのだが、検事が僕のことを殴るように言ったという」と証言している。
■弁護士の援助もなかった
 救援連絡センターの弁護士を選任した学生たちは全部解任させられた。支援してくれる人は誰もおらず、孤立無援の状態だった。
■「殺人罪」で脅迫
 取調官は、「話さなければお前を殺人罪にする」と脅しつけた。「お前が抵抗するのなら、警察は警察のやり方でどんなことでもやる」「殺人罪は死刑もある」と脅迫した。
■家族を使って追い詰めた
 家族との面会は取調室だった。しかも取調官が立ち会った。権力の側が容認する面会しかできなかった。

体験の記憶でない

 「大坂が機動隊員を殴打しているのを目撃した」というAO、IT、AR、OTの供述は、実際の体験を語ったものではない。一審判決が基軸にしているAOの供述調書はどうか。
 AOにとって大坂同志は「未知の人」だった。そこで、権力はAOの目撃内容を「11月12日に工学院大学へ旗竿(さお)作りに行った時に会った学生が機動隊員を殴打した」と2回(12日と14日)目撃したとし、その学生を写真特定で大坂同志にしぼりあげた。しかし、これは、次のとおり崩壊している。

 AOは翌年2月2日に逮捕され、4日には工学院大学へ旗竿作りに行ったと供述するが、その際に「大坂」に関する供述はない。その後の供述の経過は左の表を見てほしい。
 そして、13日になってAOは「殴打現場で見たのは大坂」と、写真を提示されて特定していく。

「気づき」がない

 この経過の中に、AO供述は実際の「体験の記憶」が語られたものでないことが明らかとなっている。
 第一に、目撃者が、以前とその後に見た人物が同一人物だと気づいた時には、「あっ、あの人だ」という「見覚え」の気づきが必ず起きる。しかしAOは、目撃時点での「気づき」の体験を一切語っていない。
 第二に、6日の渋谷の殴打現場の引き当たりで「工学院にいた男」がいたという位置を3カ所示し、その報告書を7日に作成しながら、同じ7日に同じ警察官が作成した調書の「工学院大学に行った際、4人の学生を見た」という供述の中では、殴打現場で見た学生がそのうちの誰なのかを、一切語っていないのだ。
 このように、AOの供述調書には、目撃者が本当に目撃した体験を語っているのなら、普通にあるはずの内容が全くない。
 また、AOの供述調書が作成されたのは11月14日から3カ月も後だ。多くの人が様々な動きをしている状況下、特別意識的に注目していたわけではないことを覚えているはずがない。
 AOの供述調書そのものから、自らが目撃(体験)したことを供述したものでないことは明らかだ。国家権力が自らの弾圧の意図に沿って、「目撃供述」を捏造(ねつぞう)したのだ。
 極悪のでっち上げを絶対に許さず、大坂同志の無罪奪還をかちとろう。