オバマの米大統領就任演説を弾劾する!
1月20日、オバマが米大統領就任式で行った演説は、オバマが労働者階級の完全な敵であり、労働運動の反革命的圧殺者として登場したことを示す許しがたいものだ。とりわけ決定的なのは、現在の大恐慌に対して労働者階級は「無私の精神」をもってアメリカ資本主義を救うために進んで犠牲になれ、と絶叫し、ワークシェアリングなどをその具体例として持ち出していることだ。以下、その部分を引用して暴露・弾劾する。
オバマは演説の中で次のように言っている。
「政府ができることはやらねばならないが、結局は、米国のよりどころは、国民の信念と決意である。それは、堤防決壊の時に見知らぬ人を助ける親切や、仲間が職を失うのを傍観するよりも自分の労働時間を減らすという労働者の無私の精神である。それは、煙が充満する階段を突進する消防士の勇気であり、そしてまた子どもを育てる親の意思である。それが、最終的にわれわれの運命を決定するのだ」
オバマはここで、労働者階級に対して「無私の精神」を絶対的に、無条件に要求しているが、資本家階級には全く要求しない! まさにこれがワークシェアリングの本質だ。
さらに、ここでオバマが引き合いに出している「堤防決壊の時に見知らぬ人を助ける親切」とは、ハリケーン・カトリーナに襲われた時のことだ。堤防決壊は、技術者の事前の警告を無視して公共予算をカットした結果だった。事後の救助も政府は切り捨て、むしろ暴力的に弾圧した。今、被災に乗じた公共住宅の取り壊し、都市再開発などが大問題になっている。これらを居直り、住民同士の「親切」=助け合いだけで解決しろということだ。
「煙が充満する階段を突進する消防士の勇気」とは、9・11で破壊されたニューヨークの世界貿易センタービルでの救助活動のことだ。ここで有害物質を吸い込んで病気になるなどの労災にあった消防士への補償を消防士組合が要求しているが、無視されている。「無私の精神」でやるのだから補償などなくて当然ということであり、労災補償の破壊である。
「子どもを育てる親の意思」という言葉も、すべては個人責任でやれ、というものだ。クリントン政権時に、1935年に制定されたAFDC(被扶養児童家族援助法)のシステムがドラスチックに改悪されて、「個人責任及び労働機会法」が作られた。仕事につけなかったり、まともな収入を得られなかったりすることが「個人責任」とされ、通算5年以上になると母子手当がカットされる。これをもっと徹底してやるという宣言だ。
要するに、労働者階級は資本家階級を救うためにどんな犠牲も「喜んで」引き受けるべきだ、というのがオバマ演説の核心だ。オバマはこのことを、演説の最後で再度、次のように強調している。
「今われわれに必要なことは、新たな責任の時代――一人ひとりのアメリカ人が自分自身に対して、わが国に対して、そして世界に対して義務を引き受けるということだ。いやいやではなく、喜んで引き受けるということだ。困難な任務に自分のすべてを捧げるほど、われわれの魂を満たすものはない」
日帝ブルジョアジーと一切の体制内勢力は今や、このオバマ演説をこぞって礼賛し、「これに学べ」と叫んでいる。ふざけるな! オバマを怒りを込めて打倒し、プロレタリア世界革命に真一文字に突き進もう。
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