「中野さんは我々の中に生きている!」偲ぶ会盛大に
動労千葉の中野洋前委員長・常任顧問の、追悼集会及び偲(しの)ぶ会が4月10日、千葉県労働者福祉センターで開催され、大ホールから参加者があふれかえる盛大な集まりになった。多彩な列席者の発言をとおして、日本労働運動の類いまれな指導者であった中野顧問の偉大な足跡とともに、組合員から「親父(おやじ)」と慕われ続けてきたその人間味あふれる人柄が生き生きと浮かび上がった。
第1部・追悼集会の冒頭、司会の長田敏之書記長が開会あいさつを行った。長田さんは「中野顧問はミスター動労千葉、動労千葉の歴史そのものです。その功績は一言では言い表せない。3・1~2ストを前にした最後の言葉、『負けるな!』という声を振り絞るような一言を忘れることはできない。今日の集いは中野顧問という偉大な指導者を偲ぶだけでなく、われわれがその遺志を引き継ぎ、日本の労働運動を復権させることを誓い合う場にしたい」と緊張と決意にあふれる面もちで述べた。
続いて田中康宏委員長が主催者あいさつを行った。田中委員長は、中野顧問の足かけ5年にわたる壮絶な闘病生活の経過を報告するとともに、「中野顧問は『職場で仲間に通じることは必ずすべてに通じる』と言い続けた。労働組合は本当にすばらしいものなんだ、団結した労働者の力をおとしめない限り必ず勝利できるんだと言い続けた人でした」と労働者を心から愛し、労働者から愛されてきた故人の核心的思想に言及した。そして、国家総ぐるみの1047名闘争解体攻撃の現局面に触れ、「昨日の政府と4者4団体の和解は1047名の思いを踏みにじるものだ。分割・民営化の中で一体なにが起こったのか。いくらかの金で不問にすることなど許されるわけがない。国鉄分割・民営化反対闘争の火を絶対に消してはいけない。国鉄分割・民営化の問題は何も終わっていない。中野顧問が築き上げてきた闘いを引き継いで闘う」と不動の決意を明らかにした。
各界からの故人への追悼の言葉が続いた。動労千葉顧問弁護団の鈴木達夫弁護士、三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原進事務局次長、韓国から駆けつけた民主労総ソウル地域本部のイジェウン新本部長、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部の高英男副委員長、全国金属機械労組港合同の中村吉政副委員長など、ともに闘ってきた人々から中野顧問への熱い思いが次々と語られた。さらに、動労千葉労働学校の講師を務める千葉工業大学の伊藤晃元教授、千葉商科大学の金元重教授、主治医の松江寛人医師が中野顧問との思い出を語った。さらに友人を代表して、幼少の頃からともに歩んできた勝浦市議の水野正美元副委員長が万感の思いをこめてあいさつした。
中野顧問の遺志を受け継いで闘う決意が、OB会事務長の布施宇一元副委員長、家族会の佐藤正子会長、いすみ支部の照岡清一支部長、幕張支部の山田護支部長、動労千葉争議団の高石正博団長から次々と語られた。高石さんはあふれる涙をこらえながら1972年船橋事故闘争以来の中野顧問との思い出を語り、「顧問から“高石よくやった!”と言ってもらえるような解決をかちとりたい」と述べた。会場を埋めた参加者の誰もが目頭を熱くし、故人の遺志を引き継いで闘う決意を固めた。最後に遺族を代表して中野直子夫人がお礼の言葉を述べ、第1部の追悼集会を終えた。
第2部の偲ぶ会では、中江昌夫顧問の音頭で献杯。参加者は杯を重ねながら、中野顧問との語り尽くせぬ思い出を語りあった。その間にも、憲法と人権の日弁連をめざす会代表の高山俊吉弁護士、全学連の織田陽介委員長、革共同の天田三紀夫書記長を始め、多くの人々が演壇に立って中野顧問への追悼の言葉を述べた。天田書記長は「日本における階級的労働運動の前進のために全力で闘う」と述べ、重大な決戦の時を迎えた4~6月の闘いに打って出る決意を明らかにした。組合歌を全参加者が斉唱し、長田書記長の団結ガンバローで会を締めくくった。(O)
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