鈴木謙太郎さんの急逝のりこえ、2012年三里塚決戦が幕開け
1月9日、三里塚芝山連合空港反対同盟の新年初の現地デモと団結旗開きが行われた。暫定滑走路に向けて空港に深々と突き刺さる形で位置する開拓組合道路を会場に、午前10時半、反対同盟と支援の労働者人民140人が結集した。
司会の萩原富夫さんが、険しい表情で切り出した。「反対同盟事務局員・鈴木謙太郎さんが、昨日1月7日午前10時9分に入院先の病院で急逝されました。死因は心原性脳梗塞。57歳でした」。倒れてから入院、そして一度は危難を脱したかに見えたにもかかわらず、容態が急変し帰らぬ人となるまでの経過が語られた。参加者一同があらためて悲しみで胸の奥を締めつけられた。
黙悼を捧げたのち、伊藤信晴さんが反対同盟の「2012年闘争宣言」を読み上げ、反対同盟の新年の決意を明らかにした。萩原進事務局次長は、「沖縄、福島、三里塚、労働運動、学生運動――、あらゆる戦線で支配階級との激突は避けられない情勢だ」とこの1年の奮起を促した。動労千葉の繁沢敬一副委員長は「市東さんの農地の取り上げを絶対に阻止する」と述べ、さらに外注化攻撃に対しストライキで闘う不動の決意を明らかにした。続いて反対同盟顧問弁護団の葉山岳夫弁護士が「2011年の激闘に次ぐ激闘の中で鈴木謙太郎さんは“戦死”された。この事態を強いたNAAに怒りをたたきつけよう」と訴え、裁判闘争と現地闘争の先頭に立つ弁護団の気迫を示した。
心を奮い立たせて「市東さんの農地を守りぬくぞ!」と高らかにシュプレヒコールを上げ、直ちにデモに出発した。途中に立ち寄った東峰神社では、鳥居に新しいしめ飾りをつけ、さらに天神峰の市東さん宅前までのデモをやりぬいて、「空港絶対反対」を貫く反対同盟の心意気を存分に表した。
午後1時、成田市内のレストランで団結旗開きが160人の参加で開かれた。北原鉱治事務局長は冒頭のあいさつで、「成田空港の建設は完全に間違いだった。47年の反対同盟の正義の闘いがこの完成を阻んでいる」と勝利の地平を確認した。続いて反対同盟全員が前に並び、市東孝雄さんがマイクを握った。「謙太郎の死を受け入れるのには、時間がかかるかも知れない。だがわれわれは前に進まなくてはならない。2012年、謙太郎とともに闘いますので、昨年以上にみなさんの力を貸してください」と述べ、ひときわ力を込めて「乾杯!」と音頭を取った。
動労千葉・田中康宏委員長を皮切りに、関実、顧問弁護団、群馬・市東さんの農地を守る会の青柳晃玄さん、市東さんの農地取り上げに反対する会、闘う農民、動労水戸、ス労自主、全学連の斎藤郁真委員長、婦人民主クラブ全国協、都政を革新する会の長谷川英憲さん、「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」の星野暁子さん、革共同の鎌田雅志同志――参加者が次々と、謙太郎さんの遺志を受けとめ、反対同盟とともに闘う決意を表した。
締めくくりに萩原進事務局次長が立った。「2012年は市東さんの農地を武器に現体制に対して闘いを挑む年だ。人民の渦の中に飛び込んで総決起を促す」と新年の意気込みを示した。そして福島農民の苦悩によりそい、その怒りを共有し、市東さんの農地を守る闘いをやりぬくことを必死の形相で訴えた。最後に鈴木謙太郎さんの逝去について、「日本で一番忙しい農民として存在してきた。空港が彼を苦しめ、虐げた結果だ。この無念を晴らさずにはおかない。彼の遺志を引き継いで、反対同盟はもがきながらもこの1年全力を出して火の玉となって闘います!」と涙をこらえ声を振り絞って叫んだ。会場は割れるような拍手で応えた。
最後に太郎良陽一さんのリードで団結ガンバローを三唱。かけがえのない人を失った大きな痛みと、それを歯を食いしばりのりこえて闘う熱気の中で、2012年の三里塚決戦が幕を開いた。(TN)
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