8・9長崎、佐藤さん先頭に野田の式典参加に怒りのデモ
ヒロシマ大行動の高揚を引き継ぎ、その息吹を長崎に持ち込んで、8・9長崎反核・反原発闘争が圧倒的に打ち抜かれた。午前中、野田首相の平和祈念式典参加を弾劾して集会とデモが闘われ、午後には長崎反原発反戦反核集会が開かれた。
9日午前10時から爆心地近くの城栄公園で決起集会を開いた。約80人が結集した。67年前のこの日、長崎に投下された原爆で27~28万人が直接被爆、うち7万4千人が年内に死亡した。国が内部被曝を一貫して認めていないこともあって、被爆者の苦しみは67年たった今日もなお続いている。
集会では核戦争の元凶=帝国主義への怒りを新たにし、反戦反核をあらためて誓うとともに、何よりも福島原発事故を居直り原発再稼働を強行した野田政権への怒りが渦巻いた。この野田首相が平和祈念式典に参加し、「平和」を語るなどというペテンをどうして許せるだろうか! 絶対に許せない!
集会で決意を打ち固め、直ちにデモに出発した。福島の佐藤幸子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)がデモの先頭に立った。平和公園ではこの時刻に原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われている。デモ隊は平和公園の入り口近くで、声を限りに野田を弾劾した。その後、爆心地公園までデモした。爆心地公園には、亡くなった被爆者の遺族を始めたくさんの労働者・市民が追悼のために集まっている。デモ隊の勢いある隊列と「核をなくせ!」「野田は帰れ!」のコールは、ともに闘いを呼びかける熱烈なアピールとなった。
続いて午後1時半から長崎県勤労福祉会館で「長崎反原発反戦反核集会」が105人の参加で開かれた。主催は8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会・長崎実行委員会。
統一実行委事務局長の三角忠さんの主催者あいさつ、ビデオ上映のあと、佐藤幸子さんが1時間にわたって講演した。佐藤さんは、被曝による健康被害・生活・仕事・学校・家庭の問題など、福島県民すべてが今さまざまな困難に直面している現実を、自分の周りで起きていることを具体的に例に挙げて語った。原発事故は全然、収束なんかしていない。それを「収束宣言」を行って福島県民を切り捨て、原発再稼働を強行した野田政権と東電・電力資本を怒りを込めて弾劾した。佐藤さんは講演の最後に、母親の墓前で「原発を止めるまで二度とお墓参りをしません」と誓ったことを語り、「それぐらいの覚悟で私は闘っている」と強い決意を述べた。参加者は大きな拍手で佐藤さんの講演に応え、ともにどこまでも連帯して全原発の廃炉まで闘いぬく決意を固めた。
さらに、長崎の被爆者の城臺(じょうだい)美弥子さんが発言に立った。6歳の時に被爆し被爆体験を語り継ぐ活動を続けている城臺さんは今、NAZENナガサキの先頭で闘っている。城臺さんは「8・6ヒロシマ大行動に参加して大いに元気づけられた」と感想を語り、また内部被曝の問題を政府・裁判所がずっと認めない態度をとり続けていることに怒りを表明した。そして「長崎・福島・広島・ビキニのつながりをつくり、未来のために反原発運動を進めましょう」と訴えた。
国鉄不当解雇撤回闘争を25年間、不屈に闘う国労小倉闘争団の羽廣憲さんは「労働組合の闘いで、全原発を廃炉に追い込もう」と発言した。そして10・1JR外注化阻止を全労働者の課題として全力で取り組み勝利することを訴えた。さらに広島の被爆2世の中島健さん、北九州市への放射能がれき搬入強行に反対する地元の労働者、福島診療所建設に取り組む医師、動労千葉、青年労働者、広島大学の学生がともに闘う決意を表明した。最後にNAZEN呼びかけ人の鈴木達夫さん(弁護士)がまとめを提起し、「100万の大デモを首都東京で」「伊方原発の再稼働絶対阻止」「福島に診療所建設を」「闘う労働組合の再建を」などの課題を提起し、闘いの熱気あふれる中で集会を終えた。
9日の闘争に先立ち、統一実行委は7日に九州電力の玄海原発(佐賀県)を訪れ、プルサーマル運転再開中止を求める申し入れと弾劾行動を闘った。翌8日に、闘う労働者・学生は長崎大学に山下俊一教授の福島派遣中止・解任を求める申し入れを行い、続いて九州電力長崎支社への抗議・申し入れ、街頭宣伝を連続的に闘いぬいた。(N)
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