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三里塚反対同盟と弁護団が農地裁判の弁論再開を申し立て

s20130514a-1.jpg 5月13日、三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団は、千葉市で記者会見を行い、市東孝雄さんの農地裁判(行政訴訟と農地法裁判が併合)について新たな証拠にもとづいて千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)に対し、弁論再開の申し立てを行ったことを明らかにした。さらに、農地裁判での反動判決を粉砕して勝利するために、千葉市での7・14全国総決起集会をはじめ7月に向けての闘いの方針を鮮明に打ち出した。
 この日午前に千葉地裁民事第3部での第3誘導路裁判の弁論を闘いぬいた反対同盟と弁護団、支援の労働者・農民・学生・市民は、閉廷後ただちに弁護士会館に設けられた記者会見開場に集合した。新聞記者とテレビカメラが注目する中で、伊藤信晴さんの司会で記者会見が始まった。 

s20130514a-2.jpg 最初に北原鉱治事務局長があいさつに立ち、市東さんにかけられている農地取り上げの攻撃を弾劾し、「マスコミは真実を伝える責任がある」と鋭く迫った。続いて葉山岳夫弁護士をはじめ弁護団が報告を行った。
 この日の開廷前に弁護団は、市東さんの農地裁判の弁論を再開するよう申立書を千葉地裁民事第3部に提出した。
 この間、千葉地裁民事第2部に係属する「耕作権裁判」において、NAA(=旧空港公団)がこれまで隠し持っていた文書類が地裁の決定に基づいて開示された(週刊三里塚第870号参照)。そこには、旧地主との買収交渉当時における公団が認識していた南台の土地の現況図が含まれていた。
 その図は、農地裁判における最大の争点であった「NAAによる市東さんの耕作地の位置特定の誤り」を決定的に証明するものであった。これまで反対同盟側が繰り返し指摘してきた「市東家が一度も耕作したことのない土地=南台41-9」の部分に「石橋」と書かれているのだ。言うまでもなく「石橋家の耕作地」の意味である。まさにNAAが明け渡しを求めて裁判を起こした土地の特定がまったく誤っていたことが、NAAの前身である空港公団の文書によって明らかにされてしまったのだ。これは訴訟の前提が根底から覆されたに等しい。さらに今回の新証拠の図には「昭和13年~45年」と書かれている。すなわち、1938年という戦前から70年当時を経て、市東家が現在の耕作地を耕し続けてきたことを、当時の公団の図面がはっきりと物語っているということだ。
 NAAは一貫して自らの決定的な誤りを認めず、旧地主と市東東市さんとの間で交わされた「同意書」「境界確認書」なるものを自らの主張の根拠にしてきたわけだが、これらが偽造文書であることがいよいよはっきりした。こんな卑劣なやり口(証拠隠しと文書偽造)で市東さんが丹精込めて耕している農地を奪おうとしているのがNAAなのだ。この新証拠は実に決定的だ! すでに農地裁判は3月に結審し判決を7月29日と定めているが、この新証拠を多見谷裁判長に突きつけ、なんとしても弁論を再開させ証拠採用させなければならない。
 記者との活発の質疑応答が行われ、最後に萩原進事務局次長が発言した。「市東さんは“人の土地を不法に耕作している”と裁判に訴えられ、マスコミにも書かれ、屈辱を味わった。それが誤りだと分かった今、マスコミの方々は責任を感じつつ真実を明らかにしてほしい。この新証拠を無視して判決を書くことはできないはずだ。反対同盟は三大方針を決定した。①7・14全国総決起集会を千葉市内で開催する。②農地取り上げに反対する緊急3万人署名を集める。③現地調査、交流会、援農などを通して多くの人びとの三里塚現地への結集をかちとる。三里塚は、沖縄、福島、そして動労千葉を先頭とする労働者の隊列と団結して闘っていく」。この鮮明な方針が会場を満たす大きな拍手で確認され、記者会見は締めくくられた。(TN)
 

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